萩本欽一さんが創設した社会人硬式野球クラブチーム『茨城ゴールデンゴールズ』の選手兼監督を務めたタレントの片岡安祐美さん。
この記事では片岡安祐美さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
片岡安祐美の学歴
片岡安祐美の小学校
片岡安祐美さんの出身小学校は 熊本市立画図小学校
熊本県熊本市東区出身。2歳年下の妹がいる2人姉妹。
父親は元高校球児で、元プロ野球選手の山森雅文さんは同級生、母親の実家は和菓子屋でした。
熊本市立画図小学校の出身者には、俳人の中村汀女さんがいます。
テレビで見た高校野球の甲子園の試合を見て憧れ、小学3年生、9歳の時に自分の意思で野球を始めました。 父親は野球好きで大の巨人ファンでしたが、プロ野球にはあまり興味が湧かず、高校野球はキラキラしていると感じ好きになったそうです。
甲子園に行きたくで野球を始めましたが、女子が公式試合に出られないと知ったのは中学3年生の時だったといいます。
小学4年生からは学校の部活の軟式野球部に入部しましたが、チームの女子がいなかったため校長先生や教育委員会の意向を確かめてから受け入れで、兄がチームに所属している女の子と2人での入部でした。
野球にのめり込んで練習のない日も走り込みや素振りの自主練習をしていましたが、1年目はベンチでスコアなどつけていいたといいます。
練習試合で代打で初出場し、ライト前ヒットを打ち、その後はサードのレギュラーになり、打順は1番でしたが4番を任されたりホームランも打ったこともあり、副キャプテンも務め、1位サードで県大会に出場し、ベスト8に進出しました。
片岡安祐美の中学校
片岡安祐美さんの出身中学校は 熊本市立出水南中学校
中学時代は軟式野球部に所属。野球部に女子は前例がありませでしたが、中学のコーチが片岡さんの小学生の時の試合を見に来ていたため、すんなりと入部できたそうです。
中学になると男子との体格、体力差が一気に開きましたが、コーチの教えでホームランだけを狙わず、頭を使う選手になろうと努力し、1年生からベンチ入りし、3年生の時にはセカンドのレギュラーとなり、県大会ベスト8進出に貢献しました。
憧れの甲子園を目指して野球をしていましたが、中学3年生の時に父親に高校野球の大会規定を手渡され、そこに『男子生徒に限る』と書いてあり、女子は出場できないことを知り、頭が真っ白になったといいます。
その後は女子の硬式野球部のある学校を見学に行ったり、ソフトボールを見に行ったりしましたが、父親と夏の甲子園を球場から初めて見て、歓声ときらきら光景が忘れらず、高校球児として高校野球部に入部する決断をしました。
中学3年生の時には、父親に女子野球日本代表のテストがあることを教えてもらい、女子野球をやっている人たちに会ってみたいと思い、テストを受けて合格、当時の最年少で日本代表に選出されました。
片岡安祐美の高校
片岡安祐美さんの出身高校は 熊本商業高校(偏差値57)
熊本県熊本市中央区神水一丁目にある男女共学の県立高校。
高校の野球部の監督に父親の後輩で、掛け合ってくれて一度は保留されたものの、最後は入部が許可されました。
高校野球部では男子と同じ練習メニューをこなしましたが、夜10時頃まで練習した時には『女の子だから』という理由で片岡さんだけ帰宅させられ、それが悔しくて父親と通じて気持ちを伝え、以降は夜も男子と同じ練習に参加。
規定で公式試合には出られないため背番号はもらえませんでしたが、男子にも仲間として認めてもらえるようになったそうです。
2002年からは4年連続で女子野球日本代表に選出され、2003年、高校2年生の時には第3回女子野球世界選手権に出場し初優勝、翌年の第4回大会でも優勝し2連覇を達成しました。
片岡安祐美の大学
片岡安祐美さんの出身大学は 流通経済大学 経済学部(偏差値40)
茨城県龍ケ崎市平畑に本部を置く私立大学。
2005年1月に、18歳の時に社会人野球チームの茨城ゴールデンゴールズ(茨城GG)に入団。
大学でも野球部に入ろうと思っていましたが、受験した大学でも女子は公式試合に出られないことを入試の1週間前に知りましたが、野球部の入部は認めてもらえたため、練習試合やオープン戦に出れたらと思っていましたが、その大学の受験に失敗。どこで野球をしようかと悩んでいた時に『茨城ゴールデンゴールズ』が出来ることを聞きました、当初は萩本欽一さんことはあまり知らず、『真剣にやる野球ではない』と思っていたといいます。
しかし、調べてみると環境も整っていて、元プロ野球選手が指導にいることを知り、チャレンジすること決めたそうです。
大学に通いながらチームで活動し、大学では高校簿記の教員免許を取得。
2008年第3回ワールドカップ女子野球の日本代表に選出されました。
片岡安祐美 の経歴
ゴールデンゴールズに入団後は明るいキャラクターでタレントとしても活動し、チームの知名度の向上に貢献。
2009年3月には、フジテレビの番組チャレンジランナーとして第3回東京マラソンに出場し自身初のフルマラソンに挑戦。
目標タイムの4時間30分を大幅に上回る4時間11分で完走しました。
2010年12月にはて監督を勇退した萩本欽一さんの後任として、選手兼任監督に就任。
社会人チームとしては初の女性監督でした。
監督就任を打診を受けた時に『無理です』と言ったらチームがなくなると思い、引き受けたといいます。
2012年3月、女子野球日本代表のトライアウトに参加。同年8月開幕の女子野球ワールドカップの日本代表候補に選出されました。
同年4月からは関東の女子野球リーグであるヴィーナスリーグに加盟するクラブチーム『サムライ』に茨城ゴールデンゴールズと掛け持ちで参加。
2014年、第39回全日本クラブ野球選手権で茨城ゴールデンゴールズは6年ぶり3回目の優勝を果たし、監督として初の優勝に導きました。
片岡安祐美の結婚した夫との馴れ初めや子供
2017年8月、30歳の時、5歳年下で元プロ野球選手(投手)の小林公太さんと結婚。
小林公太さんは多摩大聖ヶ丘高校在学中の2009年9月に横浜ベイスターズの入団テストを受験し合格。
同年10月のプロ野球ドラフト会議で横浜ベイスターズの育成枠2巡目の指名を受け、支度金200万円、年俸240万円(金額は推定)で契約しましたが、2012年に戦力外通告を受け退団。
その後は、クリーブランド・インディアンスとマイナー契約、、プエルトリコの教育リーグを経て、2013年に引退。
引退後は英語を学ぶためにオーストラリアのシドニーに渡り、和食レストランで1年半勤務。
そこで料理の才能を認められたことからラーメン屋を志し、ボストンの『Yume Wo Katare Boston』でラーメン作りを修業、2016年11月に文京区で暖簾分けの形でラーメン店『ume Wo Katare Tokyo』を開業。
2023年現在は本店以外につくば店、柏店、東京競馬場店、上野店の計5店舗を経営しています。
片岡安祐美さんと小林公太さんの馴れ初めは、片岡さんが友人と食事をしていた時に、たまたま別のテーブルに小林さんがいたことがきっかけでした。
茨城ゴールデンコールズの監督だった萩本欽一さんの最後に公式戦の相手チームに、小林さんが所属していたことで話しが弾み意気投合。
4日後にデートをして交際がスタートしたといいます。
2017年1月には片岡さんが自身のブログで、交際していることを発表、
同年8月に『24時間テレビ 40 告白~勇気を出して伝えよう~』(日本テレビ)の生放送番組内で小林さんの公開プロポーズを受け、これに応じて結婚しました。
子供は、2022年6月に第1子の男児が誕生しています。