モデルを経てタレントに転身しバラエティ番組でも活躍した神田うのさん。
炎上キャラとしても知られます。
この記事では神田うのさんの学歴、経歴、生い立ちや、デビューやブレイクのきっかけなどについて紹介しています。
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神田うのの経歴・プロフィール
神田うのの小学校 幼少期はインドネシアで育つ
神田うのさんの出身小学校は 川崎市立木月小学校
東京都目黒区生まれ。父親は東京大学卒業の旧通産省の元技官。
弟が2人いる3人兄弟の長女で、2歳年下の長弟はお笑いコンビ・ハマカーンの神田伸一郎さん。
1歳の時に父親の転勤でインドネシア・ジャカルタに移住。4歳まで暮らした後、帰国し神奈川県横浜市栄区に転居しました。
小学校は横浜市立本郷台小学校に入学。
1985年、10歳の時い神奈川県川崎市に引っ越し、川崎市立木月小学校へ転入しました。
5歳の時にクシックバレエを始め、バレエコンクールで優勝するなど、一時はプロを目指し18歳まで続けていました。
学校では図工と家庭科が得意でずっと「5」でしたが数学は苦手で算数で「1」を取ったこともあったといいます。
子供の頃から思ったことをすぐに口に出す性格で、毎年通知表には「集団行動ができない」と書かれていたそうです。
神田うのの中学校 デビューのきっかけ
神田うのさんの出身中学校は 川崎市立住吉中学校
神奈川県川崎市中原区木月住吉町にある公立中学校。
小学生の時から何度かスカウトされていましたが、当時は本人も「芸能」に興味があまりなかったことと、家族の反対で事務所に所属することはありませんでしたが、ファッションには興味がありモデル事務所からのスカウトを受けると、家族を説得。
1989年、14歳からモデルとして活動を始めました。
中学時代は広告などのモデルをしていたといいます。
バレエも続けていて、中学1年生の時には米倉涼子さんと同じバレエ教室でレッスンを受けていました。
神田うのの高校
神田うのさんの出身高校は 白鵬女子高校 (偏差値40~49)
神奈川県横浜市鶴見区北寺尾四丁目にある私立の女子校。
設置学科は普通科のみですが、かつては商業科も設置されていました。
出身者には福嶋晃子さん(プロゴルファー)、高城れにさん(ももいろクローバーZ)などがいます。
高校時代もバレエを続け、コンクールの全国大会で入賞。中部全日本バレエコンクールではジュニア部門で優勝し、パリの名門バレエ学校『コンセルヴァトワール』への留学資格も獲得。
しかし、バレエ以外のいろんなことに興味があり、「留学したらバレリーナになるしか道がない。」と考え、まだ将来を決めたくはなかったので留学はぜず、18歳でバレエは辞めました。
17歳の時には『プチセブン』のモデルとして活躍。
高校卒業後は大学などのは進学せず、モデル業に専念しました。
神田うのの学歴
タメ口タレントとしてブレイク後、嫌われキャラ
1994年、19歳からはタレントとして活動を始め、同年4月に『オールナイトフジ・リターンズ』(フジテレビ)の司会に大抜擢。
タメ口でのぶっちゃけトークが受け、「オールナイト」が9月に終了した後には何本ものレギュラー番組が決まっていたといいます。
1999年、毛皮メーカーとのコラボレーションし、「コスタ・モーダ・ウノ」ブランドを発表。
その後はストッキング、下着、ウェディングドレス、ジュエリーなどもプロデュースしました。
2008年5月に自身のブランド「UNO KANDA」を設立し、バッグ、財布など発表しています。
一方で空気を読めない発言から嫌われ、その嫌われぶりはタレントランキングで11冠を達成するほどになりました。
その後も空気を読めない発言で何度も炎上、バッシングされています。
結婚後の2012年から2014年に信頼していたベビーシッターに1300万円相当のバッグや貴金属を窃盗される事件が発生した際には、「自慢するな」と大バッシング。
このことがきっかけで自分の行動や発言で夫や子供に迷惑をかけてしまうことに気づき、自分を変えることにしたと話ましたが、その後もSNSの投稿など度々炎上しています。
結婚や夫、子供
神田さんは2007年10月、32歳の時に、6歳年上の実業家・西村拓郎さんと結婚。
夫の西村さんは東京都を中心に不動産開発、貸ビル業、パチンコ店・ゲームセンターを展開している企業「日拓グループ」の長男で、2003年に「日拓グループ」の代表取締役に就任しています。
神田さんが23歳、西村さんが28歳の時に出会い、友人関係でしたが友達に「彼がいいんじゃないの?」と言われたとこがきっかけで意識するようになり交際がスタートし、約8年の交際を経て結婚に至りました。
子供は娘が1人で、2011年10月に誕生しています。
3度の流産を経ての出産だったことを明かしています。