和泉元彌の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕大河ドラマで主演

学歴 和泉元彌 俳優

父親は和泉流十九世宗家和泉元秀さんで、父親の死後に和泉流二十世宗家を名乗り、「和泉流宗家継承騒動」で話題になった狂言師の和泉元彌さん。
大河ドラマ「北条時宗」で主演を務めたことで人気となりました。
この記事では和泉元彌さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

和泉元彌の学歴

和泉元彌の学歴

小学校  青山学院初等部
中学校  青山学院中等部
高校   青山学院高等部
大学   青山学院大学

和泉元彌の小学校

和泉元彌さんの出身小学校は 青山学院初等部

1974年6月4日生まれ、東京都板橋区出身。本名は山脇 元彌(やまわき もとひさ)。
父親は狂言師・和泉流十九世宗家和泉元秀さん、祖父は人間国宝の九世三宅藤九郎さん、母親は狂言プロデューサーの和泉節子さん。 姉が2人いる長男で、長姉は女性狂言師の和泉淳子さん、次姉も女性狂言師の十世三宅藤九郎(本名・祥子)さん。
祖父も父親も狂言師ですが、共に職分家からの養子で、元彌さんはは3代ぶりの嫡子嫡統の宗家でした。

1歳半から父親の元で狂言を学び、1977年、3歳の時に「靫猿」で初舞台を踏みました。
父親は狂言業界の中で有名は厳しい師匠で、褒めることはほとんどしなかったといいます。

和泉元彌の中学校・高校

和泉元彌さんの出身中学校・高校は 青山学院中等部・青山学院高等部

東京都渋谷区渋谷四丁目にある男女共学のに私立学校。初等部と併設されている系列校で、内部進学しました。
中学校の偏差値は64、高校の偏差値は72。
歌舞伎役者など伝統芸能の生徒が多いことで知られ、俳優の高橋克典さん、星野真理さんなども出身者です。

中学時代は体操部に所属し部長を務め、高校時代は陸上部に所属。部活は公演があっても迷惑をかけない、個人競技を選んで入ったそうです。
1992年、18歳の時には映画『未来の想い出 Last Christmas』で俳優デビューし、狂言以外のジャンルにも進出しました。

和泉元彌の大学 大河ドラマでブレイク

和泉元彌さんの出身大学は 青山学院大学 文学部日本文学科(偏差値65)

東京都渋谷区渋谷四丁目にある私立大学。大学も系列の青山大学に内部進学しました。
大学1年生だった1993年8月、NHKの『青春牡丹燈篭』でドラマデビュー。
1998年にネスカフェのCMで30代目イメージキャラクターを務めたことで注目され、2001年の大河ドラマ『北条時宗』で主演を務め一気にブレイク。
大学は8年かけて、2001年3月、26歳の時に卒業しました。

和泉元彌の経歴 和泉流宗家継承騒動

和泉元彌のプロフィール

名前   和泉元彌
生年月日 1974年6月4日
出身   東京都
身長   170cm
血液型  A型
所属   TWICE VOICE

1995年6月22日、父親である和泉流十九世宗家・和泉元秀さんが倒れると、27~29日の狂言ライブを即座に宗家襲名披露公演とし、当時、21歳だった元彌さんが「和泉流二十世宗家」を名乗りました。
しかし、6月30日に元秀さんが57歳で急逝後、襲名披露公演が後見人を立てるなどの手続きがなく能楽宗家会の了承も得ていないことが判明。
元秀さんの死後に結成された和泉流職分会では、元彌さんの宗家継承に会員53人中48人が反対。職分会はから、

『芸が未熟なので、先輩に学んで実力をつけてからではどうか』

との提案もされましたが、和泉家側はこれを拒否。「和泉流二十世宗家 和泉元彌」を商標登録出願する挙に出ました。
この行為に職分会側は反発。職分会は話し合いを呼びかけましたが和泉家側は拒否。
これらの行為に業を煮やした職分会は2002年3月に

『公演のドタキャンや遅刻、協会の批判などで「狂言の伝統と秩序を乱している」』

として社団法人能楽協会に元彌さんの除名を申請。
その後も話し合いをもたれることはなく、2002年10月21日に能楽協会は臨時総会を開催。
総会では1100対26という大差で元彌さんの「退会命令」処分を決定しました。
「退会命令」は「除名」に続く重い処分ですが、復帰の可能性は残されているといいます。

10月30日に元彌さんは「意見を述べる場などを設けていない不当な退会処分」として、能楽協会を相手に損害賠償と退会処分取り消しを求めて東京地裁に提訴しましたが、裁判所は1審・2審とも「協会内では原告は宗家と認められていない」と指摘、退会命令も適法と判断。
最高裁は原告の請求を棄却、これにより元彌さんの能楽協会退会は確定しました。

能楽協会・能楽宗家会・和泉流職分会では和泉流宗家とは認めてはいませんが、元彌さんは「和泉流二十世宗家 和泉元彌」と「株式会社和泉宗家」として「宗家」を名乗っています。

ダブルブッキング、プロレス参戦

和泉元彌さんは2000年代にダブルブッキング騒動で話題になりました。
2002年7月27日、午前中に岐阜県可児市の文化創造センターで公演をした後、午後からは東京新宿コマ劇場公演あり、岐阜県から東京までの約400kmを3時間で移動しました。
当日は岐阜県からヘリコプターで名古屋まで行き、そこからジェット機に乗り換えて東京に行っています。
移動時間は約2時間で遅刻することはありませんした。

2005年10月には電撃的にプロレス参戦を発表。2005年11月3日、横浜アリーナで開催のハッスルマニアでプロレスデビューしました。
試合は鈴木健想選手と行い、最後は「空中元彌チョップ」を連発して鈴木選手からピンフォールを奪って勝利しました。

結婚歴や妻、子供

和泉元彌さんは、2002年1月に6歳年上のタレント・羽野晶紀さんと結婚。
羽野さんは大学在学中に朝日放送の関西ローカルテレビ番組『ナイトinナイト』の「おっちゃんVSギャル」に女子大生レギュラー回答者として出演して、イジラレキャラクター『八百屋の娘』として注目を集め、大学在学中に、当時は学生劇団であった劇団☆新感線に所属し女優としても活動しました。
馴れ初めは舞台『ロミオとジュリエット』の共演で、妊娠を機に結婚。
子供は娘と息子の2人で、2002年4月28日に長女の采明(あやめ)さん、2004年7月26日に長男の元聖(もときよ)さんが誕生しています。

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