「朝倉南」ネタでブレイクしたお笑い芸人のいとうあさこさん。
小学校から高校までは名門進学校でした。
この記事ではいとうあさこさんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
いとうあさこの学歴
いとうあさこの小学校
いとうあさこさんの出身小学校は 雙葉小学校
1970年6月10日生まれ、東京都渋谷区出身。本名は伊藤 麻子(読みは同じ)。
父親は東京大学法学部卒業で元銀行役員、母親は資産家の娘。父方の祖父は旧三井銀行に勤務、母方の祖父はスチール家具会社で成功した実業家でした。
溯ると「日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一さんの縁のある家柄で、3歳年上の兄と1歳年下の妹がいる2番目として誕生。
兄は東京大学に進学し、野村証券に勤務しているといわれています。
裕福な家庭に育ち、千駄ヶ谷の一等地の邸宅で暮らしていました。
小学校は「お受験」して雙葉小学校に入学。
東京都千代田区六番町にある都内屈指の名門私立の女子小学校。
小学生の時にはフィギュアスケート、水泳。習字、ピアノなど多くの習い事をしていました。
小学生の頃からうっすらと芸能界への憧れがあったといいます。
いとうあさこの中学校・高校
いとうあさこんの出身中学校・高校は 雙葉中学校・雙葉高校
中学・高校は併設されている系列の雙葉中学校・高校に進学しました。
桜蔭、女子学院に並ぶ「女子御三家」と呼ばれるお嬢様学校で、出身者に女優のかたせ梨乃さん、元フジテレビアナウンサーの高橋真麻さんなどがいます。
偏差値は中学校が68、完全中高一貫制のため高校の生徒募集はなく高校の偏差値はありません。
中学、高校時代は陸上部、天文部に所属。当時は率先して行動するタイプではなかったといいます。
高校在学中はおニャン子クラブに応募しましたが、書類審査で不合格でした。
『勉強は嫌いではなかったんです。理系が好きで、大学に行くなら宇宙物理かなと思っていたのですが、当時はリケジョ(理系女子)なんて言葉もなく、文系に転向したんです。そしたら、びっくりするくらいできなくて。』
両親の勧めで文系の大学を受験しましたが失敗。
浪人中に「遅めの反抗期」が来たこともあり、19歳の時に実家を出ました。
いとうあさこの専門学校
いとうあさこさんの出身専門学校は 舞台芸術学院 ミュージカル別科
19歳で家を飛び出し1人暮らしを始め、アルバイト雑誌で見つけた配膳人紹介所に登録して働きました。
そこで知り合った男性と交際。同棲生活を始めましたが、男性は仕事を辞めてしまい、男性の借金のために1日16時間働きましたが、6年後に破局しました。
『入学したのはミュージカルの専門学校でした。けれど、やりたかったのは、やっぱり喜劇だったんです。』
23歳の時に「そういえば芸能界に入りたかった」という夢を思い出し、女優を目指して専門学校の舞台芸術学院のミュージカル別科に入学。
東京都豊島区西池袋にある俳優養成を目的とした専門学校で、役所広司さん、もたいまさこさん、渡辺えりさんなども出身者です。
入学後はミュージカルの魅力にハマり、オーディションを受け、ミュージカルに出演していました。
いとうあさこの経歴 38歳でブレイク
あるミュージカルで任されたアドリブが受けたことで、人に笑ってもらう喜びを覚え、1997年4月、27歳の時に舞台芸術学院ミュージカル別科の同期生とお笑いコンビ「ネギねこ調査隊」を結成しコントを始めました。
2001年には単独で『進ぬ!電波少年』(日本テレビ)の企画「電波少年的15少女漂流記」に参加。
33歳の時にピン芸人として活動を始め、深夜の牛丼屋でアルバイトしながら芸人を続け、2003年のR-1グランプリで初の準決勝に進出。
2008年の『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)で「朝倉南ネタ」披露したことがきっかけで。38歳の時にブレイク。
『浅倉南のネタでテレビ番組のオーディションには受からなかったのですが、あるイベントで披露したらめちゃくちゃウケて。ちょうどアラフォーという言葉がはやり始めた時期で、40代間近の私にはラッキーでした』
2010年にはR-1グランプリで初の決勝に進出しました。
いとうあさこの結婚歴
いとうあさこさんに結婚歴はありません。
『43歳前後の1年は、「子どもが欲しい」「子どもが欲しい」……だから「結婚したい!」って強く思っていましたね。それがおさまってからは、まるで仙人のように静かになりました(笑)。 』
子供が欲しいと思ったことはあり、交際相手と「結婚するんだろうな」と思ったことはありましたが、「今まで結婚願望が湧いたこと、1回もなかったな」と話しています。
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