大分県出身の俳優で「世界の車窓から」のナレーションを務めていることでも知られる石丸謙二郎さん。
この記事ではさん石丸謙二郎の学歴、経歴、生い立ちや、俳優になったきっかけ、結婚や妻などについて紹介しています。
Contents
石丸謙二郎の経歴・プロフィール
石丸謙二郎の中学校|心臓病を発症
石丸謙二郎さんの出身中学校は 大分市立碩田中学校
大分県大分市出身。1歳年上の兄と3歳年下の妹がいる3人兄弟の真ん中。
父親は銀行の支店長で転勤が多く、大学進学で大分を離れるまで大分県内を22回引っ越し、23の家に住んだといいます。
社宅はありましたが父親の趣味で、武家屋敷やつぶれた旅館などを探して住んでいたそうです。
小学校は日引っ越しが多く、出身の学校は不明。
子供の頃は野山を駆け回って遊び、通知表にはいつも「落ち着きがない」と書かれていたそうです。
中学校は大分県大分市碩田町2丁目にある大分市立碩田中学校を卒業。
中学時代は朝礼で倒れたり、走って脈拍が上がると目の前が真っ暗になるなどの症状が出て、病院で診察を受けると「心臓弁膜症に近い心臓疾患です。」と診断されました。
14歳の時に運動や走ることはもちろん、1時間以上歩くことや日に当たることも禁止されたといいす。
そのため、体育の時間は参加できず、禁止事項を守っていても度々保健室のお世話になったそうです。
石丸謙二郎の高校|演劇を始めたきっかけ
石丸謙二郎さんの出身高校は 大分上野丘高校 (偏差値71)
大分県大分市上野丘2丁目にある男女共学の大分県立高校。
1885年(明治18年)に開校した大分県立大分中学校が前身の学校で、大分県内で最も歴史が長い航行として知られ、レベルも大分県でトップクラスです。
出身者には俳優の宮崎美子さん(後に熊本高校に転校)などがいます。
高校には下宿先から通学していました。
高校時代も体育の授業は休んでいましたが、ある日、プールに入り泳ぐと気が遠くなりそうな頭痛の襲われ、プールの中からみんなに抱きかかえられて救出されました。
その時、運動が好きだった石丸さんは「オレの一生は、こんなままなのだろうか」と思い「もう、どうなってもいいから運動しよう!」と薬を飲むのもやめたといいます。
病院に行くののやめ、翌日にみんなとサッカーを始め、プールに入り、全速力で走り、何度も倒れましたが、いつのまにか倒れなくなり治ったそうです。
高校時代は複数の運動部の他、演劇部に所属。大分で上演されたミュージカルを観て演劇に興味を持ち、自身で演劇部を創設し演劇活動を始めました。
石丸謙二郎の大学|ダンスにハマる
石丸謙二郎さんの出身大学は 日本大学 藝術学部演劇学科(偏差値55)
東京都千代田区九段南4丁目に本部がある私立大学。
芸術学部のキャンパスは練馬区の江古田キャンパスです。
大学時代に授業でやったダンスにハマり、ダンスを習うようになり、週6日も習っていました。
大学には役者になりたくて入りましたが、授業はほとんどが理論で芝居の実践はなどはなく、「こんなことをやっていて役者になれるのか?」と疑問を抱き、大学は2年で中退しました。
石丸謙二郎の学歴
つかこうへい事務所にスカウト
大学中退後はニューヨークに行こうと思い、2年間、ホテルの住み込みのアルバイト、ビルの清掃、飲み屋など様々なアルバイトをを掛け持ちしていましたが、渡米資金を増やそうと知り合いの儲け話にのるとお金を持ち逃げされて断念。
『稽古をのぞきに行って、見ているうちに出ることになっちゃってね(笑)。完全に裏口入学ですよ。』
友人がつかこうへいさんのミュージカル『サロメ』に出演していたので、稽古を見学に行ったところつかさんの目に留まりスカウト。
つかさんのオファーで1977年に舞台『いつも心に太陽を』に出演しデビューしました。
1987年からは『世界の車窓から』(テレビ朝日)のナレーションを担当。
2003年3月には49歳で『第11回芸能人サバイバルバトル』に初出場し総合10位を獲得。
2007年10月の第18回まで出場し、2005年4月の第14回では8位になりました。
2017年からは『十津川警部シリーズ』(TBS)で亀井刑事役を演じています。
結婚や妻、子供
石丸さんの妻は元テレビディレクターの女性。
「徹子の部屋」のディレクターで、石丸さんが出演した際に打ち合わせをしたこと出会い結婚。
仲人は黒柳徹子さんが務めたそうです。
石丸さんに子供はいないようです。
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