アフロヘアーが特徴で「わかめラーメン」など多数のCMにも出演した俳優の石立鉄男さん。
高校卒業後に俳優になりましたが、当初は役者になるつもりはありませんでした。この記事では石立鉄男さんの学歴、経歴、生い立ちや、結婚、妻、晩年や死因について紹介しています。
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石立鉄男の経歴・プロフィール
石立鉄男の小学校
石立鉄男さんの出身小学校は 横須賀市立公郷小学校
神奈川県横須賀市生まれ。男5人兄弟の四男として誕生。
父親は養鶏業を営んでいました。
「石立鉄男」は本名で「鉄男」の名前は当時軍港・横須賀港で軍事物資として鉄が貴重とされていたことが由来だといいます。
父親には「人に迷惑をかけるな」と言われて育ち、
『何をやってもいいが、その道の大物になれ。泥棒になるなら大泥棒になれ』
と幼少期から教えられていたといいます。
小学校は神奈川県横須賀市公郷町にある公郷小学校に入学。
3歳で終戦を迎え、学生時代も米軍基地の街となった横須賀で過ごし、アメリカ兵からもらったチョコレートやチューインガムの美味しさを知ったそうです。
石立鉄男の中学校
石立鉄男さんの出身中学校は 横須賀市立池上中学校
神奈川県横須賀市池上3丁目にある公立の中学校。
中学時代はバスケットボール部に所属。
練習に打ち込み、レギュラーとして活躍していました。
中学生の頃は優等生だったといいます。
石立鉄男の高校
石立鉄男さんの出身高校は 三浦高校 (偏差値39~54)
神奈川県横須賀市衣笠栄町にある男女共学の私立高校。
創立80周年の2009年に校名が「三浦学苑高校」に改称されています。
設置学科は普通科、工業技術科。
出身者には芸能事務所・サンミュージック創業者の相澤秀禎さんなどがいます。
男女共学化されたのは1960年で、石立さんが入学した1958年にはまだ男子校でした。
高校時代もバスケットボール部に所属していました。
高校の担任の先生とウマが合わず何かにつけて反抗していたといい、テストも白紙で提出し成績は下がりクラスでビリでの卒業だったそうです。
大学進学も考えていたようですが、進路相談の時も担任と大ゲンカしたといいます。
石立鉄男の学歴
俳優デビューのきっかけ
高校時代に、役者志望の友人が俳優座養成所を受けると聞き、石立さんは特に俳優には興味があったわけではありませんでしたが、担任への反発もあり、興味本位でなんとなく受験。
『ぼくが俳優になったのは高校時代の受け持ちの先生のせいだよ』
応募者1400名中、43名という狭き門を突破し合格。
合格後も俳優いなるつもりは全くありませんでしたが、合格発表を見に来ていた佐藤オリエさんを見て「こんなきれいな子が入るならば」と入所を決め、高校卒業後の1961年に、俳優座養成所に13期生として入所。
同期には細川俊之さん、佐藤オリエさん、佐藤友美さん、加藤剛さん、真屋順子さんなどがいました。
入所した時は俳優座、芝居について全く知らず、教員からは「ここに何しにきたんだ」と言われたといい、この言葉に奮起し演劇を学ぶために膨大の量の本を読み「人生の中で一番勉強した」と語っています。
それでも演技をすることを恥かしいと思っていましたが、同期の佐藤友美さんが卒業公演で涙を流しながら稽古に取り組む姿を見て、芝居を一から勉強し直そうろ決意したといい、晩年に「彼女のおかげで芝居が好きになった」と語っています。
人気俳優として活躍
工事現場でアルバイトをしながら演劇を学び、1963年、21歳の時にフジテレビのドラマ『愛の系譜』で俳優デビュー。
同年にドラマ『まごころ』(フジテレビ)でドラマ初主演。
1964年3月、俳優座養成所卒業公演『お気に召すまま』ではその演技が、注目され文学座研究生となりました。
1964年公開の『血とダイヤモンド』で映画デビュー。
1965年に文学座の座員に昇格し、5年間所属しました。
テレビドラマではアフロヘアーと独特の口調の個性派俳優として活躍。
出世作となったのは1970年、28歳で出演した、夫婦であることを周囲に隠し続ける教師と生徒をコミカルに描いたドラマ『おくさまは18歳』(TBS)でした。
同ドラマの大ヒットで1971年には『おひかえあそばせ』(日本テレビ)の主演が決定。
人気は急上昇し、当時の日本テレビの「18歳から34歳女性の人気調査」では石坂浩二さんに次ぐ2位にランクインしました。
1972年に子役だった杉田かおるさんと共演した『パパと呼ばないで』(日本テレビ)では、姪の杉田さん演じる千春を呼ぶ「おい!チー坊」のセリフが流行しました。
1983年から出演した、エースコック「わかめラーメン」のCMでは「お前はどこのわかめじゃ?」のセリフで親しましれ、40代後半からは2時間サスペンスやドラマスペシャルの脇役を中心に活躍しました。
結婚歴や妻、子供
石立鉄男さんが結婚したのは1968年、26歳の時でした。
妻は1歳年下での女優の吉村 実子(よしむら じつこ)さん。
馴れ初めは1963年、21歳の時にフジテレビのドラマ『夏』で共演したことでした。
石立さんが打ち合わせに現れた時にはヨレヨレのTシャツに短パン、サンダルとだらしない格好で、吉村さんは悪印象を受けましたが、本読みが始まるとその印象はなくなり、「石立さんの才能に惹かれた」と吉村さんは後に述べています。
子供は息子が2人で、1970年に長男、1972年に次男が誕生しました。
しかし、結婚25年目の1998年、56歳の時に離婚。
次男の誕生後、石立さんは家を出て戻らず、離婚するまで別居状態だったそうです。
離婚の翌年に石立さんは都内から静岡県熱海市に移住。
友人所有の別荘に居住し、仕事の時だけ上京する生活をしていました。
晩年と死因
2007年6月1日、就寝中にに急性動脈瘤破裂を発症し、静岡県熱海市の自宅で死去。64歳でした。
最後の仕事は2007年5月13日の『ウラネタ芸能ワイド 週刊えみぃSHOW』(読売テレビ)で、番組では自分の俳優人生を振り返り、
『全盛期には5億から10億ぐらい稼いだんだけど、全部バクチで使い切っちゃった』
とのエピソードを話しました。
最後のドラマは1年前に撮影され2007年3月31日に放送された警部補・藤井若葉の癒しの事件簿~犯罪被害者相談室から~』(テレビ朝日)。
最後の映画は2007年公開の映画『キャプテントキオ』でした。
亡くなる4日前には仕事の打ち合わせのために上京していたといいます。