沖縄県出身の腹話術師・いっこく堂さん。
腹話術は誰かに弟子入りしたわけではなく、独学で学びました。
この記事ではいっこく堂さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
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いっこく堂の経歴・プロフィール
いっこく堂の小学校 小3で沖縄返還
いっこく堂さんの出身小学校は コザ教育区立中の町小学校
神奈川県高座郡寒川町生まれ。 沖縄県コザ市(現・沖縄市)育ち。本名は玉城 一石(たまき いっこく)。兄と弟がいる3人兄弟の次男。
父親の出稼ぎ先だった神奈川県で生まれ、5歳の時に家族で沖縄に戻りました。
小学校はコザ教育区立中の町小学校に入学。
沖縄県沖縄市上地3丁目にある現在の沖縄市立中の町小学校です。
小学校1年生になる春から両親がサンドイッチ店を開店しましたが、開店して間もなくの1970年に米兵車両に住民がはねられた事故を端緒に、住民が米軍への不満を爆発させた事件の「コザ騒動」が起こり、米兵が基地の外に出歩かなくなり店は閉店。
小学校1年生から3~4年は借金返済のため父親はタンカーに調理場の船員として乗り、母親も那覇の飲食店で夜中まで働き、父親は年に数回しか家に帰って来なかったといいます。
自宅には風呂、洗濯機、テレビはなく、テレビは他の人に家で見せてもらっていたとそうです。
小学3年生の時に沖縄が日本に返還され、当時は「日本人になりたい」と「日本人にはなりたくない」という両方の人がいたと話しています。
通貨がドルから円に変わり、当時は1ドルが305円で小学生だったのですぐには計算ができずに苦労したといいます。
いっこく堂の中学校 腹話術に出会う
いっこく堂さんの出身中学校は コザ市立コザ中学校
沖縄県沖縄市胡屋に3丁目にある、現在の沖縄市立コザ中学校。
中学時代は野球部に所属し、プロ野球選手を夢見ていました。
人を笑わせるのが好きで、学校では加藤茶さんなどものまねをして周囲を笑わせていたといいます。
腹話術に出会ったの中学2年生の時で、テレビのニュースで女性警察官が演じる交通安全の腹話術を見たことがきっかけでした。
腹話術に感動したいっこく堂さんはすぐに警察に電話をして「腹話術の人形は売っていますか?」と聞くと、「警察には事件とか事故のときに電話をしなさい。」と怒られたそうです。
腹話術の人形は手に入らず、それからしばらくは腹話術のことは忘れていたといいます。
いっこく堂の高校 俳優を目指して上京
いっこく堂さんの出身高校は 北谷高校 (偏差値40)
沖縄県中頭郡北谷町桑江にある男女共学の沖縄県立高校。
高校2年生の時にドラマ『池中玄太80キロ』(日本テレビ)の西田敏行さんを見て、喜劇役者を志し、学校では「度胸をつけるため」に学校の先生のものまねを始め、高校3年生の時にはTBSで放送してた愛川欽也さん司会の『欽也のそっくりベスト10』に出場。
沖縄予選を勝ち抜き、チャンピオン大会まで進出しています。
高校卒業後には役者を目指して上京しました。
いっこく堂の学歴
独学で腹話術を体得しブレイク
上京後は3年間ものまね芸人をやった後、「劇団民藝」に入団し役者を目指していましたが行き詰まり、「1人でモノマネ芸人をやっていた頃って自由で楽しかったな」と度々思い出すことがあり、芸人に転向を決意。
中学2年生の時にテレビで見た腹話術を思い出し「腹話術をやってみよう」と思い立ち、近所の区立図書館で「だれにも出来る腹話術」という本を借りてきて、鏡の前で口の動きを研究し独学で腹話術を体得。
1992年、29歳で腹話術師としてデビューししました。
その後、『ポンキッキーズ』(フジテレビ)の「出てこい! パフォパフォ」というパフォーマンスのコーナーに出演すると、3分の出演でしたが大好評でブレイクしオファーが殺到。
年間300本のステージをこなすようになりました。
結婚歴や妻、子供
いっこく堂さんは1991年、28歳の時に1歳年下の薫子さんという女性と結婚。
出会ったのは劇団時代で、薫子さんは劇団おスタッフだったといいます。
結婚後はいっこく堂さんの個人事務所の社長を務めています。
子供は娘が1人で、1996年頃に夢弓(ゆめみ)さん誕生。
娘の夢弓さんは2022年にカンボジア人男性と国際結婚し、カンボジアで暮らしていることを明かしています。
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