白割烹着が似合うお母さん役で「日本のお母さん」と親しまれた女優・池内淳子さん。
味の素「ほんだし」のCMなどにも出演していました。
この記事では池内淳子さんの学歴、経歴、生い立ちを紹介します。
池内淳子の学歴
池内淳子の小学校
池内淳子さんの出身小学校は 不明
先祖代々江戸っ子の家系で、実家は代々続いた 塩物問屋。
4人姉妹の長女、3人の妹からは「大きいちゃん」と呼ばれていました。」
幼稚園は1978年まで東京都目黒区にあったトモエ学園に入学、幼稚園の同級生には黒柳徹子さんがいました。
小学生の時に戦争経験し、食糧難で母親が着物を売って食料を調達してくれたといいます。
池内淳子の中学校
池内淳子さんの出身中学校は 十文字中学校(偏差値52)
東京都豊島区北大塚にある私立の女子校で、中高一貫教育の学校。
1922年創立で2022年には学園創立100周年を迎えました。
池内淳子の高校
池内淳子さんの出身高校は 十文字高校(偏差値60~67)
出身者にはタレントのYOUさん、俳優の坂井真紀さんなどがいます。
1952年の高校卒業後は日本橋三越に入社。
呉服売り場に配属され、配属先には後に女優になる前田通子さんがいて、2人の美貌は評判になったそうです。
1年後に退職し、花嫁修業のために和裁と料理の学校に通いました。
池内淳子の経歴
1954年、20歳の時に週刊誌「サンケイグラフ」のカバーガールに応募したことがきっかけでスカウトされ、映画会社の新東宝に入社。
同じくスカウトされた日本橋三越時代に同じ呉服売り場で働いていた前田通子さんを偶然にも再会しました。
1955年4月5日公開の「皇太子の花嫁」で映画デビュー。
池部良さん、宇津井健さんの相手役として多くの作品に出演し、1956年9月26日公開の映画「新妻鏡」で映画初主演。
1957年10月、23歳の時にジャズ歌手で俳優の柳澤愼一さんと結婚し引退しましたが、性格の不一致で3ヶ月で離婚。
その後、生涯再婚はしておらず、子供はいませんでした。
1960年8月27日公開の映画「花嫁吸血魔」で女優復帰し、テレビドラマにも進出。
同年の昼ドラマ「日日の背信」(フジテレビ)で不倫に揺れるヒロインを演じ、主婦層の支持を獲得、不倫、浮気をテーマにした、よろめきドラマブームの火付け役となり「よろめき女優」と呼ばれました。
1965年6月から放送された「女と味噌汁」では主演のかっぽう着姿が似合う芸者てまり役を演じ、安定した視聴率を記録し「20%女優」と呼ばれるきっかけになり、お嫁さんにしたい女優でも上位にランクイン。
和服の似合う上品な美貌で、1960年代から1980年代まで「お母さん女優」と呼ばれ、テレビドラマで毎作20%以上の視聴率を獲ることから「20%女優」とも呼ばれ、「テレビドラマの女王」として君臨しました。
2002年、紫綬褒章を受章しました。
池内淳子の晩年
2007年4月、間質性肺炎及び胸水貯留と右上葉に肺腫瘍が発覚し、肺腺がんと診断。
抗がん剤による治療で腫瘍はほぼ消失、その後も通院して抗がん剤治療を続けてましたが、2010年3月に再発。
2010年5月16日まで、名古屋の中日劇場で舞台「三婆」に出演していましたが、その後再入院。
それから約4ヶ月後の同年9月26日に、肺腺癌のため東京都内の病院で死去。76歳没。
遺作は同年1月11日にTBSで放送された「Wの悲劇」でした。