幼少期から中学生までアメリカで生活していた、帰国子女の市川紗椰さん。
鉄道やアニメオタクでも知られます。
この記事では市川紗椰さんの学歴、経歴、生い立ちを紹介しています。
市川紗椰の学歴
市川紗椰の小学校
市川紗椰さんの出身小学校、中学校は デトロイト市の小学校、中学校
愛知県名古屋市で誕生、生後4ヶ月で東京に移り、4歳から14歳まではアメリカ・デミシガン州デトロイト市で育ちました。
本名はシュック 市川 紗耶 ジェニファ。
父親はインディアンであるチェロキー族の血を引くアメリカ人、母親は日本人のハーフで、職業は父親はコンサルティング会社を経営、母親は大学の英語教授。
4歳の時からヴァイオリンを習い、小学生の頃にはフィギュアスケート、水泳も習い、ヴァイオリンは高校を卒業する頃まで習っていました。
音楽は父親の影響で、小さい頃からロックが好きだったそうです。
中学時時代には誘われて、シンクロナイズドスイミング(現名称・アーティスティックスイミング)を始めました。
水泳の時は、4歳から視力0.01以下とが悪く眼鏡をしてため、コンタクトをつけた上でゴールをしていましたが、シンクロの大会ではゴーグルの使用が禁止で、外して出場した試合ではすぐにコンタクトをなくしてしまい、誰がどこにいるか分からなくなってしまったといいます。
その後は飛び込みを始めましたが、高い所からと飛び込むのが楽しくて何度も飛んでいたら、背中から落ちすごく痛い経験をして以来怖くなって辞めたそうです。
市川紗椰の高校
市川紗椰さんの出身高校は アメリカン・スクール・イン・ジャパン
帰国後は東京都調布市にインターナショナルスクール・アメリカンスクール・イン・ジャパンに入学。
1902年(明治35年)に設立された老舗のインターナショナルスクールで、入学には両親も本人も高い英語力が求められます。
16歳の時にスカウトされ、部活代わりにやっていたアルバイトのつもりでモデルを始めました。
元々はファッション雑誌とか見たことないくらいで、モデルに興味がそれほど興味はなかったく、当時、定期的に購読していのはアメリカのSF雑誌『スターログ』だけだったといいます。
16歳で雑誌『ViVi』で専属モデルとしてデビューし、その後は、『25ans』『sweet』『MORE』『BAILA』『MAQUIA』など多数の雑誌でモデルを務め活躍しました。
市川紗椰の大学
市川紗椰さんの出身大学は 早稲田大学政治経済学部(偏差値68)
高校卒業後にはニューヨークの名門大学、コロンビア大学、ニューヨーク大学や、シカゴ大学にも合格しましたが、1年間はモデル業に専念し、コロンビア大学に入学しようと思っていましたが、仕事が充実したことから、早稲田大学を受験し入学しました。
2007年、大学2年生の時にNHKの若い女性向けの情報番組『東京カワイイ★TV』にレギュラー出演。
2010年に大学を卒業しました。
市川紗椰の経歴
鉄道、アニメなどに精通した「オタク」としても注目され、『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)の「タモリ電車クラブ」のメンバーとなり、鉄道番組ではナレーションや語りを担当しています。
自身の趣味の話を高校時代にしたらみんなに引かれたことがあり、それ以降は趣味の話は封印、モデルの仕事をするようになってちょっとだけ話すと「モデルの世界ではこういうのは求められてない」との空気を察し、再び話さないようにしていましが、ある日、開き直って話してみると、面白がってもらえたそうです。
2015年公開の映画『トイレのピエタ』では尾崎さつき 役で出演。
2015年4月から2016年3月まではフジテレビオンデマンドのニュースサイト『ホウドウキョク24 startup 180』で水・木曜のメインキャスターを務め、2016年4月からは深夜のた報道・情報番組『ユアタイム』のメインキャスターと担当。
2016年11月には『FNN報道特別番組速報!アメリカ大統領選~トランプ劇場最終章~』(フジテレビ)のニューヨーク現地リポーターを担当しました。
『ユアタイム』2017年9月で終了しましたが、1ヶ月前の8月に番組の進行担当だったのアナウンサーの野島卓さんとの熱愛が報道。
写真週刊誌『FLASH』で野島卓さんのベンツに乗って帰宅するなど半同棲中で、真剣交際と報じられましたが、同年の12月に破局したと報じられました。
2015年には結婚したい男性のタイプを聞かれ
『(北斗の拳の)ケンシロウです。どうせなら。強いから』
と話し、2019年にはテレビ番組で男性のタイプついて聞かれ、年上で20歳くらい上までは許容範囲だと話し、恋愛は待ってる時間がもったいないので自分から行き、「ダメならダメで早くわかったほうがいい」とコメントしています。
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