細川たかしの学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 細川たかし 歌手・ミュージシャン

「北酒場」や「心のこり」のヒット曲で知られる演歌歌手の細川たかしさん。
独特の髪型は白髪がきっかけのようです。
この記事では細川たかしさんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

細川たかしの学歴

細川たかしの学歴

小学校  真狩村立知来別小学校
中学校  真狩村立真狩中学校
高校   真狩高校
大学   進学していません

細川たかしの小学校

細川たかしさんの出身小学校は 真狩村立知来別小学校

1950年6月15日、北海道虻田郡真狩村生まれ。本名は細川貴志(読みは同じ)。真狩村幌まで車で約1時間40分の人口約2000人の村で、冬には3m以上の雪が降るといいます。

実家はジャガイモ農家で、兄が1人、姉が3人いる5人兄弟の末っ子。

幼少期には育った集落には固定電話の電話番号が1つしかなく、どの家でも同じ回線を使用していたため、電話での会話内容は集落中に知れ渡るのことが普通だったといいます。

入学した知来別小学校は自宅から300mの距離ですぐ近く、全校生徒は64人で卒業生は13人でした。
当時は学校を休んで家の農作業を手伝う子の方が良いとされ、ジャガイモの収穫時期には学校が休校になり、普段でも学校からかえると毎日畑仕事を手伝っていましたが、トラクターなど農業機械がない時代で、腰が痛くなり嫌でしょうがなかったといいます。

細川たかしの中学校

細川たかしさんの出身中学校は 真狩村立真狩中学校

中学校は小学校と違いと多く、学校まで5kmありました。

中学時代には同級生バンドを結成し、ドラムを担当。農作業のない日に、細川さんの家の納屋に集まり『ベンチャーズ』などを演奏していたといいます。
当時から演歌も好きで、井沢八郎さんの『北海の満月』がすごく好きで、中学校の卒業アルバムには『北海の心 満月の姿 演歌!! 細川貴志』と書いたほどでした。

細川たかしの高校

細川たかしさんの出身高校は 真狩高校 (偏差値38)

北海道虻田郡真狩村字光にある男女共学の公立(村立)の農業高校。 設置学科は農芸科学科のみで、有機農業コースと野菜製菓コースがあります。

高校には進学しましたが、間もなく中退。

兄も姉も家を継いでなく、末っ子の細川さんが継がないと農家をいずれはやめなければいけないかもしれない状況でしたが、どうしてもの農家を継ぐの嫌で、両親に、

『どうしても札幌へ行きたい、できれば歌手になりたい』

と心から頼むと、なんとか納得してくれ、札幌に出て自動車整備工場で住み込みで働き始めました。

実家の農業は親戚が継いだそうです。

細川たかしの経歴

細川たかしのプロフィール

名前   細川たかし
生年月日 1950年6月15日
出身   北海道虻田郡真狩村
身長   173cm
血液型  A型
所属   細川たかし音楽事務所

高校中退後、札幌で自動車整備工として働きながら、夜はバンドボーイとしても働き始め、それがバレると整備工場の工場長に整備工場かバンドボーイを取るかを迫られ整備工場を退職。

その後は、昼間は健康ランドで働きながら、ナイトクラブで「タダでもいいからから」と頼み、歌わせてもらうようになり、札幌のすすきのを中心に歌手活動を開始しました。
その歌声から、他のクラブからも声がかかり「すすきのの森進一」と呼ばれるようになったといい、売れっ子クラブ歌手として7年間活動し、収入は多い月で60万円あったといいます。

1974年、24歳の頃には結婚し、子供も生まれました。

そんな時に東京の芸能事務所からデビューの誘いがあり、子供が生まれたばかりで悩みましたが、妻に背中を押されたこともあり、「1年やってダメなら元にクラブ歌手に戻ればいい」と思い、1974年に単身上京しました。

デビュー曲の「心のこり」がいきなり大ヒット

上京した翌年の1975年4月、24歳の時に『心のこり』でデビューすると、伸びやかな高音と迫力を持った歌声が評価され、

第6回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞
第17回日本レコード大賞・最優秀新人賞

など、同年の音楽新人賞を多数受賞。

オリコンチャートでも1位を獲得し、80万枚を売り上げる大ヒットを記録。同年末の『第26回NHK紅白歌合戦』に白組のトップバッターとして初出場も果たしました。

紅白歌合戦には初出場以来、2006年の第57回まで32回連続して出場していました。

1982年3月に発売した18枚目のシングル『北酒場』もオリコンチャート3位にランクインし、78万枚売り上げ、続く翌年、1983年2月の19枚目の『矢切の渡し』は1位となり2曲連続で大ヒットを記録。この2曲で、2年連続で日本レコード大賞も受賞しました。

細川たかしの結婚した妻や子供

細川たかしさんが結婚したのは、1974年3月、23歳の時で、妻は2歳年上の和子さん。

勤務していた自動車整備工場を辞めて、クラブ歌手に専念始めた22歳の時に出会い、ナイトクラブで働いていた和子さんに一目惚れ。
細川さんのもうアプローチで交際がスタートし、交際3ヶ月で結婚しました。

子供は同年に息子譲(ゆずる)さんが誕生。子供は息子が1人だけのようです。
譲さんは作家で、柚木由柚というペンネーム作詞家として、2005年1月に発売した細川たかしさんのシングル『城崎恋歌』の作詞を担当しています。

1974年に細川さんにデビューの話が来た時には、和子さんに

『後悔しないように行ってくれば』

と言われ、

『1年で売れなかったら戻る』

と約束し上京し、翌年のデビュー曲が大ヒットしました。

妻の和子さんは2018年頃に病気のため、70歳で亡くなっています。

細川たかしの髪型の理由

細川たかしさんに髪型は前髪とサイドの生え際を剃った独特の髪が型になっています。

『(白髪が)際に出るんですよねえ』
『白髪になるか、毛がなくなるか、2つに1つだよね』

剃り始めたきかっけは生え際の白髪で、白髪を染めずに「白髪を剃る」行動に出たといい、気がついた時には独特の髪型になっていたといいます。

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