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本田武史の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 本田武史

長野オリンピックに史上最年少で出場した元フィギュアスケート選手の本田武史さん。
日本人選手をして初めて競技会で4回転ジャンプも成功させました。
この記事では本田武史さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

本田武史の学歴

本田武史の学歴

小学校  郡山市立小原田小学校
中学校  仙台市立七北田中学校
高校   東北高校
大学   法政大学

本田武史の小学校

本田武史さんの出身小学校は 郡山市立小原田小学校

1981年3月23日生まれ、福島県郡山市出身。
7歳の時に1歳年上の兄が習っていたことがきかっけで、スピードスケートを始めましたが、あまり興味はなく、スケート場の隣にあったバッティングセンターずっといたといいます。

小学3年生の時に1度だけ兄とショートトラックの大会に出場すると、途中までが兄にリードしていましたが、最終コーナーで転倒して敗北。
その時にスピードスケートは「二度とやらない」と決めたといい、その時、フィギュアスケートの先生に誘われて、フィギュアスケートに転向。
ジャンプやスピンをやり始めると楽しくなり、小学5年生からは週に1度新幹線で仙台まで通って習いました。

本田武史の中学校

さ本田武史んの出身中学校は 仙台市立七北田中学校

中学に上がると同時に母親と共に仙台に移住。

『新幹線の料金が大人料金になるので(笑)』

仙台ではリンクに近かった七北田中学校に入学しました。
同じフィギュアスケート選手だった羽生結弦さんも同中学校の出身です。

仙台に行きたいと話した時、両親は賛成してくれましたが祖父には「家族は一緒に住むべきだ」と反対され、「結果が出なければ帰ってくるので、3年間だけやらせでほしい」と説得して仙台に行ったといます。

中学1年生の時には全日本ジュニアで8位に入賞しましたが、「これじゃだめだ」と当時日本に数人しか飛べる人がいなかった「トリプルアクセル」を飛んでやろうと決意。
中学2年生で成功させ、全日本ジュニアで優勝。世界ジュニアでは2位となり、14歳で出場した日本選手権では史上最年少で優勝しました。

本田武史の高校

本田武史さんの出身高校は 東北高校 (偏差値39~58)

宮城県仙台市青葉区小松島四丁目にある男女今共学の私立高校。
設置学科は普通科だけですが、学科内専門コースには創進コース、文理コース、文教コース、栄泉コース、スポーツコース、総合コースがあります。
野球部は甲子園の常連校で多くのプロ野球選手を輩出。
フィギュアスケートでは金メダリストの荒川静香さん、羽生結弦さんも出身者で、荒川静香さんは1学年下でした。

高校2年生の時には1998年長野オリンピックに出場。結果は15位でした。
同年の世界選手権の予選では、日本人選手として初めて4回転ジャンプに成功しました。

本田武史の大学

本田武史さんの出身大学は 法政大学 法学部通信教育課程(偏差値-)

高校卒業後は法政大学の通信教育課程に入学しましたが、後に中退しています。
大学に入学した1999-2000シーズンは第68回全日本選手権では3年ぶり3度目の優勝を果たし、翌2000-2001シーズンには第69回全日本選手権で4度目の優勝を飾りました。

2002年ソルトレークシティオリンピックに出場し、ショートプログラムでは、4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプと3回転アクセルを成功させ、暫定2位となりましたが、フリースケーティングでは4回転トウループジャンプの着氷でステップアウトするミスがあり4位。
総合でも4位となり、惜しくもメダルを逃しました。

本田武史の経歴 引退後

本田武史のプロフィール

名前   本田武史
生年月日 1981年3月23日
出身   福島県郡山市
身長   168cm
血液型  AB型
所属   スポーツビズ

2005年10月に、2005-2006シーズン限りで競技を引退することを表明。

故障を抱えたままシーズンに臨みましたが、髙橋大輔選手、織田信成選手などの若手の台頭でトリノ五輪男子シングル出場を逸し、24歳で現役を引退し、プロスケーターに転向。

コーチ、解説者としても活動し、浅田舞さんのコーチや高橋大輔さんのジャンプ技術コーチを務めました。

本田武史の結婚歴や妻、子供

本田武史さんは2007年8月、26歳の時に結婚。

妻は大阪府出身で1歳年上の一般女性。友人との食事会で出会ったといいます。

『実は本田さんは恐妻家で、奥さんに頭が上がらない。』

一部の報道では恐妻家と言われています。

子供は3人で、娘が2人と息子1人。
娘2人はフィギュアスケートをやっていているといいます。

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