時代劇から現代劇まで幅広く、存在感のあるバイプレーヤーとして活躍する個性派俳優の本田博太郎さん。
独特に話し方で知られます。
この記事では本田博太郎さんのの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
本田博太郎の学歴
本田博太郎の小学校・中学校
本田博太郎さんの出身小学校・中学校は 不明
茨城県水戸市出身。本名は本田 博史(ほんだ ひろし)、4人兄弟の末っ子。
9歳の時に母親は亡くし、以降は男手一つで育てられ、父親が頭に手ぬぐいを巻いて毎朝、弁当を作ってくれていたといいます。
そんな父親を見て育ったため、グレるなんてことは考えられなかったそうです。
幼少期は派手ではないけど、地味でもない『地味派手タイプ』だったといいます。
子供の頃は家にテレビはなく、映画好きの父親が毎週のように映画に連れて行ってくれ、子供心に人間臭い作品に惹かれたそうで、三國連太郎さんに憧れ、俳優になった時に三國連太郎さんから取り芸名を『博太郎』にしたそうです。 、
本田博太郎の高校
本田博太郎さんの出身高校は 茨城高校(偏差値70)
茨城県水戸市八幡町にある私立高校。
茨城県内ではトップクラスの進学校です。
現在は男女共学ですが、1998年までは男子校でした。
特技は柔道と剣道とされていることから、学生時代には柔道や剣道をやっていたようです。
本田博太郎の大学
本田博太郎さんの出身大学は 日本大学(偏差値40~59)
高校卒業後は日本大学に進学し上京。
上京後に初めて劇団というものがあること知り、自ら小さな劇団を立ち上げ、閉店後に喫茶店を借りて芝居を上演。
アルバイトは芝居の稽古が入るとクビになるため、危険が伴う高層ビルの窓ふきなどをやる一方、手に職をつけようと、大工や内装、ペンキ塗りなど職人のアルバイトを多くしていました。
本田博太郎の経歴
1973年、22歳の時に文学座付属演劇研究所の夜間部に入所、翌年に卒業後は劇団青俳に所属。
1977年には日活ロマンポルノ『性と愛のコリーダ』で映画に初出演しますが、アルバイト生活は10年続きました。
若くして結婚し子供も生まれ、日々の生活に追われて芝居への気持ちが揺れ始め、1979年、28歳の時に「この舞台を最後にしよう」と挑んだ舞台『近松心中物語』で主演の平幹二朗さんが腰を痛めて降板。
すると、無名だった本田博太郎さんが代役に大抜擢、演技は絶賛され、当時の帝国劇場での最年少座長記録もつくり一躍脚光を浴びました。
同年に舞台『ロミオとジュリエット』にも出演し、
第17回ゴールデン・アロー賞新人賞(演劇部門)
を受賞。
以降はテレビ、映画、CMでも活躍し、 1980年5月から放送されたフジテレビドラマ『ただいま放課後』では森雄太(ドンガメ先生)役で主演を務めました。
1981年には時代劇『必殺仕舞人』(テレビ朝日)に仕舞人のひとり・直次郎 役で出演、予告編のナレーションも担当し、エンディング曲『風の旅人』で歌手デビューもしました。
本田博太郎の妻と子供
本田博太郎さんが結婚したのは10代の時。
『10代で結婚していたから、なおさら稼がなくてはならなかった。』
役者を始めたばかりの頃に結婚し、以降10年は俳優だけでは食べていけませんでした。
2006年1月、54歳の時ののインタビューでは妻について、
『女房が気を使ってくれるので、肉体的には健康。』
『30数年連れ添ってくれた妻に、きっちり女房孝行することが、そろそろ一つのテーマに入ってきました。』
とコメントしています。
子供は1978年8月、27歳の時に息子の大輔さんが誕生しています。
息子の本田大輔さんも俳優で、1998年映画『がんばっていきまっしょい』でデビュー。
2010年には大河ドラマ『龍馬伝』に望月清平 役で出演し、2020年の『麒麟がくる』にも出演ています。
2019年には朝ドラ『スカーレット』では熊谷敏晴 役で出演し注目されました。
1999年の映画『ガメラ3』や2009年の『ゼロの焦点』では親子共演しています