演芸番組「笑点」のメンバーで知られる落語家の林家たい平さん。
武蔵野美術大学出身でデザイナーをめざしていました。
この記事では林家たい平さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
林家たい平の学歴
林家たい平の小学校
林家たい平さんの出身小学校は 秩父市立花の木小学校
1964年、埼玉県秩父市出身。本名は田鹿 明(たじか あきら)。
父親はオーダーメイドの紳士服を仕立てるテーラー、母親は駄菓子屋を経営、6歳年上の姉と4歳年上の兄がいる3人兄弟の末っ子。
父親は職人気質で、母親は社交的で明るい人だといいます。
幼い頃からものまねが好きで、美空ひばりさんや市川團十郎さんものまねをしていて、人を笑わせることが大好きで、家に人が遊びに来るとものまねをして笑わせていました。
林家たい平の中学校
林家たい平さんの出身中学校は 秩父市立秩父第二中学校
同中学校の出身者にはお笑い芸人の晃100%さん、俳優の藤原竜也さんがなどがいます。
中学時代は生徒会長を務めていました。
中学3年生の時にに学園ドラマ『3年B組金八先生』(TBS)が始まると、その影響で学校の先生になりたいと思うようになりました。
林家たい平の高校
林家たい平さんの出身高校は 秩父高校 (54偏差値)
埼玉県秩父市上町二丁目にある男女共学の県立高校。
1907年に創立した伝統のある高校で、設置学科は普通科のみです。
出身者には演歌歌手の冠二郎さん、声優の金澤まいさんなどがいます。
高校時代は美術部に所属。
高校の時も学校の先生になりたいと思い、進路相談で担任に相談すると担任の先生がたまたま東京藝術大学卒の美術の先生で、
『美術大学に行って美術の先生になる道がある』
と勧められたそうです。
それまでは世の中に美術の大学があるということすら知らなかったそうですが、数学や世界史などの勉強をしないでいことや、絵を描くのは楽しいしそれで先生になれるならと美術大学の進学を決意。
放課後毎日美術室に通うようになり、担任に美術大学受験の勉強法を指導してしてもらったおかげで合格することができたといいます。
林家たい平の大学
林家たい平さんの出身大学は 武蔵野美術大学 造形学部視覚伝達デザイン学科(偏差値53)
東京都小平市小川町に本部がある私立大学。
兄がデザインの学校に進学した影響もあり、デザイン学科の進学を希望したそうで、特に深い考えはなかったそうですが、大学に入学後はデザインの楽しさに触れ、教師ではなくデザイナーになりたと思うようになったといいます。
大学では落語研究会に入りましたが、落語に興味があったわけではありませんでした。
どのサークルに入ろうかと見て回っていると、たまたま落語研究会の暖簾が目に入り、「美大に落研があるんだ」とちょっと覗いてみると、やさしそうな先輩が数人でコタツに入っていたそうです。
話しを聞くと「新入部員が集まらないので廃部寸前」だといい、たい平さんが「僕が入ったら廃部にしなくて済むんですか?」と聞くと、
『そうなんだけど気にしないで』
と言ってくれ、他に入りたいサークルがあるわけではなく、先輩たちが優しくていい人だったこともあり、落語研究会を潰さないために入ったといいます。
その後は1年生なのに勧誘して15人くらい入会させ、いきなり副部長になりましたが、落語には興味がなく、落語を聞きに行こうという気持ちはありませんでした。
落語との出会いは大学3年生の時で、課題に追われてラジオを聴きながら絵を描いていると、たまたま始まった落語に引き込まれ、最後は大爆笑。
『落語ってこんなにすごい世界だったんだ』
と思い、それからどんどん落語にのめり込んでいったそうです。
落語家になりたいと思いましたが不安もあり、本当に落語家としてやっていくことができるのかどうか見極めるらめ、「奥の細道」を15日間で歩きながら、落語を披露するたびに出たといいます。
最初の数日は恥ずかしくて何もできませんでした、6日目の仙台で老人施設に何件も電話してOKをもらい落語を披露すると笑ってもらえ、石巻では、
『久しぶりに声を出して笑った。楽しかった』
との言葉を聞き、落語家になることを決意しました。
大学卒業後、林家こん平さんいに弟子入りをお願いし、1年間の行儀見習いを経て、1988年6月に正式に入門しました。
林家たい平の経歴・笑点メンバーに加入
1988年8月に林家こん平さんにに入門後、高座名「たい平」と名付けられました。
1992年5月、に二ツ目に昇進。
1993年には北区若手落語家競演会で優勝し、NHK新人演芸大賞では優秀賞を受賞。
2000年3月、7人抜きで真打昇進。
前年にも真打昇進の話がありましたが、こん平師匠から、
『飛び越してしまう先輩の人数が多く、後々あまりいいことがない。みんなに祝福されて真打になったほうがいい。あと1年待って、もっと実力をつけてからなったらどうだ?』
と言われ、1年間落語の稽古に充てての昇進でした。
2004年8月にこん平師匠が声帯を患い入院し、治療が長引いたことから同年12月に代役で、『笑点』大切りに出演。代役でしたが21年ぶりの新顔でした。
こん平師匠が2006年に降板後、2006年5月から正式に『笑点』のレギュラーメンバーに加入。41歳の時でした。
林家たい平の結婚や妻、子供
林家たい平さんは1996年、32歳の時に結婚。
妻は同い年で元フリーアナウンサーの田鹿千華さん。
田鹿千華さんは東北学院大学法学部卒業後、リクルートホールディングスに入社。
人材開発部採用担当、広報室に勤務し、リクルート退社後は友田 幸岐(ともだ みゆき)の芸名でNHK-BSの初代スポーツキャスターに就任。Jリーグ草創期のサッカーキャスターとして活動しました。
子供は息子が2人と娘が1人の3人。
1997年1月に長男の咲太朗(さくたろう)さん、1998年12月に長女の果歩(かほ)さん、2003年1月に次男の陽大(ひなた)さんが誕生しました。
長男の咲太朗さんは、2019年3月に立教大学法学部を卒業後、父親である林家たい平さんに弟子入りし、林家さく平の名前で落語家をしています。