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林家木久扇の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 林家木久扇

人気演芸バラエティ番組「笑点」で55年、半世紀にわたりレギュラーを務めた、落語家の林家木久扇さん。
落語家の前はプロの漫画家でした。
この記事では林家木久扇さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

林家木久扇の学歴

林家木久扇の学歴

小学校  杉並区立第三桃井小学校
中学校  杉並区立荻窪中学校
高校   中野工業高校
大学   進学していません

林家木久扇の小学校

林家木久扇さんの出身小学校は 杉並区立第三桃井小学校

1937年、東京市日本橋区久松町(現・東京都中央区)生まれ。本名は豊田 洋(とよた ひろし)。
実家は雑貨卸問屋で、4人兄弟の長男として誕生しました。
幼少期の5歳ぐらいまでは裕福な生活でしたが、番頭が出征したため休業状態になり、東京大空襲で店は焼けて廃業したといいます。

小学校は中央区立久松小学校に入学しましたが、青森県八戸市に疎開。小学校は八戸市立柏崎小学校に通いました。
疎開先の小学校では地元の子供に、上履きを隠されたりしていじめられましたが、絵を描くのが得意で、戦闘機や軍艦の絵を描いてあげるといじめられなくなったといいます。

その後、両親が離婚し、母親に引き取られ東京に戻り、杉並区立第三桃井小学校に転校しまいた。

小学4年生からは家計を助けるために新聞配達のアルバイトを始め、同じ頃に三遊亭歌笑さんのの創作落語「豚の夫婦」をラジオで聞き、落語に出会い、面白くてラジオで何度も聞いてその話を覚えるまでになったといいます。

林家木久扇の中学校

林家木久扇さんの出身中学校は 杉並区立荻窪中学校

同中学校の出身者には伊藤蘭さん、坂上忍さんなどがいます。

母子家庭だったので、中学時代も母親を助けるため、新聞配達のアルバイトや空き缶集めでお金を稼いでいました。

林家木久扇の高校

林家木久扇さんの出身高校は 中野工業高校 食品化学科(偏差値38)

東京都中野区野方にある男女共学の都立高校。
2023年に中野工科高校に改称されています。現在の設置学科は総合技術科。

高校時代には映画演劇部を設立。中野や新宿の映画館と交渉し、映画演劇部は無料、同じ高校の生徒は割引してもらえるようにしたといい、その活動は当時の新聞でも取り上げられたといいます。
チャンバラ映画が好きだったことから、高校時代には剣道も始めました。
1956年に高校卒業後は、森永乳業に就職しました。

林家木久扇の経歴・落語家の前に漫画家デビュー

林家木久扇のプロフィール

名前   林家木久扇
生年月日 1937年10月19日
出身   東京都中央区
身長   162cm
血液型  A型
所属   トヨタアート

戦時中に食料に苦労したことから、食べ物の傍にいたいと森永乳業に入りましたが、配属先の新宿の牛乳工場が寒くて、続かないと思っていた時に、出版社に就職してた友人に漫画家の原稿料が1枚2、3万聞き、自分の給料が5500円だったことから驚いたといいます。
その友人に「おまえも漫画が上手いんだから」と煽てられて、漫画家を目指すために森永乳業は3ヶ月で退職。

友人の勤めていた出版社の社長の推薦で、漫画家の清水崑さんに入門すると、2年後の1958年には『週刊漫画サンデー』に描いた漫画『とりもの太平記』が掲載され漫画家としてプロデビューしました。
原稿料は1枚5000円だったといいます。

林家木久扇の落語家デビューのきっかけ

林家木久扇さんは漫画を描きながら、よく片岡千恵蔵さんや渥美清さんの声のものまねをしていたといい、漫画家に入弟子入りして4年たった頃に、そのものまねを聞いた漫画の師匠の清水崑さんに、

『おまえは面白いやつだから、落語を習って寄席に出たらどうだい』

と言われ、落語家の三代目桂三木助師匠の紹介状を書いてくれたそうです。

落語は好きだったので「寄席にただで出入りできたらいいな」くらいの気持ちで三木助師匠の自宅を訪ねると、すでに入門が決まっていて、落語家人生が始まったといいます。

清水崑さんとは落語家になった後もよい関係が続き、よくイラストの仕事を回してくれたそうです。

1960年に落語家として弟子入りし、「木久男」の名前をもらいましたが、翌年に三木助師匠が亡くなったため、八代目林家正蔵一門へ移籍。 「木久蔵」に改名し、1965年9月に二ツ目に昇進。

笑点のレギュラーに加入したのは1969年11月、32歳の時でした。

1973年9月に真打に昇進しました。

2023年に笑点を、2024年3月で卒業することを発表。
出演期間は55年で、桂歌丸さんの50年を超える最長記録になりました。

林家木久扇の結婚や妻、子供

林家木久扇さんは1967年に29歳で結婚。
妻は講談師の本牧亭席亭さんの妹の武津子さん。

結婚式では、自分の結婚式の日と同じ日に知り合いの結婚式の司会を入れていまい、司会を優先し、自分の結婚式の新郎席には柳家小きんが代理人として座わったといいます。

子供は娘と息子の2人。娘はマネージャーを務めているといいます。

1975年9月に生まれた息子の豊田 宏寿(とよた ひろとし)さんは落語家。
1995年10月に父親に弟子入りし、前座名「きくお」として活動した後、2007年9月に名前を譲られ二代目林家木久蔵を襲名し、真打昇進を果たしました。

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