畑正憲の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕ムツゴロウさんは東大出身

学歴 畑正憲 作家・小説家・漫画家・エッセイスト

小説家、動物研究家でムツゴロウさんの愛称で親しまれた畑正憲さん。
ムツゴロウ動物王国を開園し、ドキュメンタリー番組『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』は人気番組でした。
この記事では畑正憲さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

畑正憲の学歴

畑正憲の学歴

小学校  不明
中学校  不明
高校   日田高校
大学   東京大学

畑正憲の小学校・中学校

畑正憲さんの出身小学校・中学校は 不明

1935年、福岡県福岡市博多区生まれ。父親は医師、母親は助産師、男5人兄弟の3番目。
父親は福岡市内の病院に勤務し、幼少期は博多で育ちましたが、5歳の時に父親が満州の大分開拓団所属の医師になることが決まり、一家で満州に移住。

満州で住んでいたのはロシアをとの国境付近で、夏は40度、冬はマイナス50度になることもある過酷な場所で、自分たちで耕して畑や田んぼを作って生活し、時には反乱者と銃の打ち合いなったこともあったといい、小さかった畑さんは家の中に閉じ込められ、掘りごたつの中に隠れていたそうです。

小学校は満州の小学校に入学し、2年の進学目前の1944年3月に、兄の受験を機に兄弟だけで父親の実家の大分県日田市に移り、高校まで日田市で育ち、終戦から2年後の小学6年生の時に両親も帰国。実家は大きな農家でした。

子供の頃から勉強ができ、教科書は1度読むを内容が覚えられ、中学2年生の時には実家の病院に治療のために来た兄の学校の担任の先生に英語の小説をもらうと、半年でスラスラ読めるようになったといいます。

本が大好きで、当時大学生だった兄が夏休みに帰省した時に持っていた『物理原論』とうい本も、中学生で読んで理解できたそうです。

畑正憲の高校

畑正憲さんの出身高校は 日田高校 (偏差値58)

大分県日田市田島二丁目にある男女共学の県立高校。
現在は普通科だけですが、1957年までは商業科、1978年までは理数科がありました。
出身者には女優の真屋順子さん、アナウンサーの江藤愛さんなどがいます。

高校時代は文芸部と演劇部に所属し、両方の部で部長を務め、生徒会長も務めました。
成績も優秀でしたが、ガリ勉タイプではなく、野球も得意だったといいます。

中学時代に同級生で妻となる純子さん出会い、畑さんがラブレターを渡し交際がスタートし、高校も同じでした。
当時は男女交際に厳しく、中学の時にバレた際には『すぐ別れなさい。何かあったら退学だぞ』言われ、そのため、高校でも気軽に話すことも出来なくなり、学校の帰りにひとけのない場所で待ち合わせて、1~2時間くらい話しをするのがデートだったといいます。

畑正憲の大学

畑正憲さんの出身大学は 東京大学 理学部動物学科(偏差値68)

父親は医者になることを望んでいましたが、畑さんは医者になる気は待全くなく、作家に憧れていたので文学部に入りたたいと思っていましたが、父親が医学部以外は認めなかったため、医学部を選択できる理科2類受験。
そこから文学部に移ることをひそかに考えていたといいます。

受験勉強は特にせず、落ちるなんてことは考えてもいなかったそうです。

結局は生物学を選び、勉強をしてみると面白くてアメーバの研究にハマり、大学卒業後は大学院に進学しアメーバの研究を続けました。

しかし、作家を諦めたわけではなく、いろいろな雑誌の新人賞に応募していましたが、せいぜい佳作止まりでした。

研究と文学を続ける中で、常に『自分はなんて中途半端な男なんだ』という葛藤が常につきまとっていたといい、その後、研究者をやめ、一時期は自宅にも帰らなくなり生活破綻。ギャンブルで生活をしていました

その後、学習研究社(現在の学研ホールディングス)に就職。

学研映画が文部大臣賞を受賞したのを夕刊で見て、学研に入ろうと思い、その時は就職の面接は終わっていたため、当時の社長に直接手紙を出して、自分の経歴をアピールすると返事が来て、面接では動物生態室に行くように言われ、映像部門に配属。

教育関係の番組や映画を制作を担当しました。

畑正憲の経歴

畑正憲のプロフィール

名前   畑正憲
生年月日 1935年4月17日
没年月日 2023年4月5日(87歳没)
出身   福岡県福岡市博多区
血液型  A型

学研に就職後は仕事は楽しく没頭していましたが、文章を書く事も続け、1967年に『われら動物みな兄弟』を出版し、翌年には、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。

しかし、学研が出版社でもあることから、他社から発刊したことが社内で問題とされ、学研を退職。

以降は、1969年に子供向けSF『ゼロの怪物ヌル』、『天然記念物の動物たち』、1970年には『ムツゴロウの博物志』などを出版し念願だった作家として活動。

ニックネームのムツゴロウは『ムツゴロウの博物志』出版した時に出版社が名付け、その後は 、多くのムツゴロウシリーズが出版されました。

ムツゴロウとゆかいな仲間たち

畑正憲さんは『ムツゴロウの博物志』を刊行した翌年の1971年に東京を離れ、北海道に移住。
1972年に北海道厚岸郡浜中町で作家活動を続けながら『ムツゴロウ王国』を開園しました。
約450万平方メートルの広大な敷地に犬約140匹、猫約40匹、馬約20頭を飼育しているといいます。
入場料は1700円。

1980年12月からはドキュメンタリー番組『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』(フジテレビ)が放送を開始すると人気番組になり、平均視聴率は20%、最高視聴率30.2%を記録を記録し、2001年3月まで20年以上放送されました。

畑正憲の結婚や妻、子供

畑正憲さんが結婚したは23歳の時で、学生結婚でした。
妻は中学校の同級生の純子さん。
子供は娘が1人誕生しています。

妻が妊娠していたのは、畑さんが研究者を辞め、ギャブルで生活をしていた時でした。

『お袋が産婆で、親父が医者ですから。預けておけば、そこはどうってことはないでしょ。』

山谷の一泊450円の連れ込み旅館に泊っていた時、「そういう関係」の女性に、

『あなたは本来こんなところにいる人間じゃない。いますぐ離れないと本当にダメになるよ』

と説教され、反省して家に戻り、学研に就職を決めました。

娘の明日美さんははムツゴロウ王国のスタッフをしていた男性と結婚し、ムツゴロウ王国の経営を支え、孫も4人誕生しています。

畑正憲の死因と晩年

2017年10月に心筋梗塞を発症し入院。手術をして入退院を繰りかえした後、自宅で療養をしながら、2020年6月にはYouTubeチャンネル『ムツゴロウの656』を開設し、北海道での生活を発信していました。

2023年4月5日に中標津町の自宅で心筋梗塞を発症し倒れ、搬送先の病院で死去。87歳でした。

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