京都府出身のラジオパーソナリティ、タレントで大阪で朝の帯ラジオ番組を50年続けた浜村淳さん。
この記事では浜村淳さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
浜村淳の経歴・プロフィール
浜村淳の小学校・中学校 2歳で養子
浜村淳さんの出身小学校・中学校は 京都市立鷹峯小学校・京都市立旭丘中学校
京都府京都市出身。本名は塩濱 眞(しおはま まこと)。 父親は他界し母親は製鋼会社に勤務する男性と再婚。
母親の再婚相手が、上海の支店長になることになり、生後間もなく浜村さんは伯母夫婦に養子に出されました。
養父母に育たらたことは知らずに育ち、知ったのは大学の入学手続きのために戸籍謄本を取り寄せたことがきっかけだったといいます。
小学校は京都市立鷹峯小学校、中学校は京都市立旭丘中学校入学。
幼少期からラジオに親しみ、映画や芝居にもよく連れて行ってもらい、自宅の近所で行われていた映画の撮影も見に行っていて、映画が好きになったといいます。
浜村淳の高校
浜村淳さんの出身高校は 山城高校 (偏差値62~64)
京都府京都市北区大将軍坂田町にある男女共学の京都府立高校。
1907年(明治40年)に創立された京都府立第五中学校を前身とする100年以上の歴史をもつ学校です。
出身者には俳優の山城新伍さん、プロレスラーの天山広吉さんなどがいます。
浜村淳の大学
浜村淳さんの出身大学は 同志社大学 文学部(偏差値62)
京都府京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町に本部がある私立大学。
同大学の文学部の出身者には俳優の生瀬勝久さんなどがいます。
大学では新聞学を専攻し、新聞記者になりたいと思っていました。
大学時代は放送部に入部し制作を担当。
アルバイトでジャズ喫茶で司会業を始めるとジャズと映画の解説が受けて、一時はタレントを目指して上京しましたが、養父母の反対で京都に戻り、大学卒業後は大阪市内の靴下メーカーに就職しました。
浜村淳の学歴
「ありがとう浜村淳です」を50年
靴下メーカーに就職後宣伝部に配属。会社がラジオ番組のスポンサーになっていたため、社業の一貫としてラジオ番組の脚本を執筆を担当しました。
養父母に内緒で進めていた仕事のため、番組の最後に放送されるクレジット用の芸名を付けることになり、この時に「浜村淳」と命名。
しかし、会社を半年で退職すると養父母に内緒で司会業を再開。
京都市内のクラブ・ベラミのアルバイト司会者として音楽解説や映画紹介をして話芸を磨き、渡辺プロダクションの創業者の渡辺晋さん夫妻に声をかけられ再上京。
渡辺プロダクションに所属しタレントとして活動していましたが、養父の体調悪化を機に活動拠点を大阪に移し吉本興業に所属。
吉本興業時代には吉本新喜劇にも出演していました。
その後、活動の場をラジオ番組や映画評論に広げ、1974年からは平日朝の生放送帯番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)のパーソナリティを担当。
「浜村節」と呼ばれる独特の話芸で人気を集め、2024年まで50年間務めました。
結婚や妻、子供
浜村淳さんは既婚者で結婚したのは1965年、30歳の時。
『8歳下の妻とは、ニ度、プロポーズをして結ばれた。とても明るい性格の妻のおかげで、大変なことがあっても救われる場面が多いという。』
妻は8歳年下で元タレントの女性だといいます。
子供は息子がいて、大阪のテレビ局「毎日放送(MBS)」に勤務しています。