ファンキー加藤の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 ファンキー加藤 歌手・ミュージシャン

東京都八王子市出身で「FUNKY MONKEY BΛBY’S」のMCを務めるファンキー加藤さん。
この記事ではファンキー加藤さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

ファンキー加藤の学歴

ファンキー加藤の学歴

小学校  八王子市立弐分方小学校
中学校  八王子市立城山中学校
高校   八王子北高校
大学   進学していません

ファンキー加藤の小学校

ファンキー加藤さんの出身小学校は 八王子市立弐分方小学校

1978年12月18日生まれ、東京都八王子市出身。本名は加藤 俊介(かとう しゅんすけ)。兄と弟がいる3人兄弟の次男。
幼少期から目立ちたがり屋で、小学生の時には児童会長を務め、学芸会の演劇では常に主役を狙うなど人前に立つことが好きでした。
入学した弐分方小学校の出身者にはアンジャッシュの児嶋一哉さんがいます。
小学生の時には『劇団ひまわり』のオーディションに応募したこともあり、1次審査に合格しましたが、2次審査が学校の行事を重なってしまい断念してたといいます。

当時の夢は漫画家でしたが、喘息持ちで体が細かったせいか小学校、中学校での時はいじめられっ子で、小学5年生の頃に地元のプロレスの試合を見て「強くなってプロレスラーになりたい」と思うようになったといいます。
スポーツは野球をやっていて地元の「山田スネークス」という少年野球チームに所属していました。

ファンキー加藤の中学校

ファンキー加藤さんの出身中学校は 八王子市立城山中学

中学時代には野球部に所属。音楽を始めたのも中学時代で、若い頃にアマチュアバンドをやっていた父親にギターを教わりました。
中学2年生の時には友達に誘われて、「BOOWY」のコピーバンドを結成。
当時「BOOWY」すでに解散していて知りませんでしたが、聴いてみて衝撃を受けて一気に好きになったそうです。
中学3年生の時には公民館を借りて、自分達で機材を持ちよって、初めてのライブをしました。

中学生の時にもプロレスラーになりたいと思っていていたといいます。

『本気でした。中3の三者面談でも、「俺はプロレス団体に行くから高校には行きません」と言って親を困らせて、「入団させてください」みたいな手紙をプロレス団体に送ったこともあります。』

毎日公園で腕立て伏せやスクワットなどのトレーニングもしていたといい、3年生の時にはいじめていた相手をぶん投げて勝つこともできたそうです。

ファンキー加藤の高校

ファンキー加藤さんの出身高校は 八王子北高校 (偏差値47)

東京都八王子市楢原町にある男女共学の東京都立高校。設置学科は普通科のみ。 同高校の出身者には俳優の上川隆也さん、漫画家の見田竜介さんなどがいます。

『朝起きたらみんなと同じ制服を着て……っていう日々が俺はけっこうしんどくて、高校3年間は本当に無気力に過ごしていたんです。』

高校時代いは部活に入らず帰宅部でしたが、バンド活動を続けていていました。
1年、2年生の時は文化祭でブルーハーツなどのコピーをしていましたが、「日本語ラップブーム」アンダーグランドで盛り上がったことから、3年生の時はバンドを辞めてラップを始め、3年生の文化祭ではラップを披露したといいます。

高校卒業後は大学などには進学せずに、ディスカウントストアに就職。働いていたのは「ドアーズ」という会社で、自転車売り場を担当していました。

 

ファンキー加藤の経歴 FUNKY MONKEY BABYS結成

ファンキー加藤のプロフィール

名前   ファンキー加藤
生年月日 1978年12月18日
出身   東京都八王子市
身長   174cm
血液型  A型
所属   イドエンターテインメント

就職後も音楽活動は続け、ディスカウトショップ退職後もアルバイトをしながら続けました。

『加藤さんが音楽の道を本気で志したのは25歳のころ。フリーターを続ける自分をハッとさせ、歌手としてプロを目指そうと思わせてくれたきっかけは弟の結婚だったという。』

弟の結婚に焦りを覚え、「2年で芽が出なかったら音楽をスッパリあきらめよう」と決意し、本気でデビューを目指したといいます。

2004年、元日に「FUNKY MONKEY BABYS」結成。
別なグループでラッパーをしていたモン吉さんと意気投合し、もん吉さんが見つけたDJケミカルを加藤さんに紹介し、サポート参加を経て、3人で活動するようになったそうです。

2006年1月25日にシングル『そのまんま東へ』でメジャーデビューしオリコン77位。
同年7月19日に発売したアルバム『ファンキーモンキーベイビーズ』はオリコン15位となり、2007年5月23日の5枚目のシングル『ちっぽけな勇気』が8位となり初のトップ10入り。
2009年に紅白歌合戦に初出場し、2012年まで4年連続で出場しました。
DJケミカルさんが実家の寺の住職を継ぐための準備に入ることに伴い、2013年の全国ツアーを最後にグループは解散。

解散後はソロ活動を始め、2014年12月12日にソロデビューシングル『My VOICE』を発売。オリコン3位にランクインしました。

2021年3月16日にファンキー加藤さんともん吉さんの2人体制でグループの活動を再開。
グループ名を『FUNKY MONKEY BΛBY’S』に変更することも発表しました。

ファンキー加藤の結婚歴や妻、子供

ファンキー加藤さんの結婚歴は1度。2013年に元マネージャーの女性と結婚しました。

2015年にアンタッチャブルの柴田英嗣さんの妻と不倫し、女性が加藤さんの子供を妊娠したことが発覚。
女性とは後輩が主催した飲み会で出会い、加藤さんが声をかけたといいます。
加藤さんと柴田さん何度か酒を酌み交わした友人で、女性が柴田さんの妻だったことは知らなかったと話しています。
子供は2016年6月に生まれ、加藤さんは認知しています。

『正直、離婚を切り出されたこともありました。都合のよい話だと分かっていても自分は離婚をしたくなかったです』

発覚後、柴田さんは離婚しましたが加藤さんは離婚していません。

加藤さん夫婦の子供が4人で、2015年5月に第1子、2017年2月に第2子、2020年5月に双子が誕生しています。

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