「高校三年生」などのヒットで知られる歌手の舟木一夫さん。
高校は進学校でした。
この記事では舟木一夫さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
舟木一夫の学歴
舟木一夫の小学校時代
舟木一夫さんの出身小学校は 一宮市立萩原小学校
1944年12月12日、愛知県中島郡萩原町(現・一宮市)生まれ。本名は上田 成幸(うえだ しげゆき)。
父親は石川県河北郡津幡町笠谷の旧家の出で、劇場などを経営。父方の祖父は「立山伊次郎」の四股名で雷部屋に所属した力士でした。
父親が知り合いの借金の保証人になったことで事業は失敗し、幼少期に両親は離婚。
父親に引き取られて育ちましたが、生活は貧しかったといいます。
父親はいわゆる「遊び人」で小学生2~6年生までの間に8人もの母親がいたといい、最短では「1泊2日」という人までいたそうです。
小学校は一宮市萩原町萩原字河原崎にある萩原小学校に入学。
1か月間「100回肩たたき」を続けたご褒美にと祖母からハーモニカをプレゼントしてもらったことと、ラジオで三橋美智也さんの歌を聞いたことで音楽に興味を持ちました。
小学6年生の時に父親は9番目の母親と正式に結婚しました。
舟木一夫の中学校時代
舟木一夫さんの出身中学校は 一宮市立萩原中学校
愛知県一宮市萩原町串作河室浦にある公立中学校。
中学時代は水泳部と音楽部に所属。
家計を助けるために牛乳配達や新聞配達のアルバイトもしていました。
13歳の時に弟が誕生。
舟木さんは弟の面倒をよくみたといい、「弟が物心つくまでに世間並みの暮らしをさせたい」と思うようになり、友人の家のテレビで歌手が歌う姿の見て、歌手を目指すことを決意。
中学2年生の時に父に「小遣いは一銭もいらないから音楽の勉強をさせてほしい」と頼み込み、中学の音楽の先生の紹介で、中学3年生から指揮者の山田昌弘さんのレッスンを名古屋市内で受け始めました。
舟木一夫の高校時代
舟木一夫さんの出身高校は 愛知高校 (偏差値62~65)
愛知県名古屋市千種区光が丘2丁目にある男女共学の私立高校。
1876年(明治9年)の設立依頼、男子校でししたが、2005年に男女共学化されました。
出身者には映画監督の堤幸彦さん、俳優の佐野岳さんなどがいます。
音楽を勉強することには賛成してくた父親でしたが、歌手になることには反対でした。
1962年2月、高校2年生の時に地元CBCテレビの番組『歌のチャンピオン』に出場しな、松島アキラさんの『湖愁』を歌い、チャンピオンを獲得。
父親は仕事の出先で番組を見て、息子の決意を思い知ったといいます。
同年3月に名古屋市内のジャズ喫茶で行われた「松島アキラショー」友人と共に行き、ステージ上の松島さんが「『湖愁』を誰か一緒に歌わないか」と客席に声をかけると、友人が掴み手を挙げさせられ、松島さんを一緒に歌いきりました。
すると偶然そこにいた「週刊明星」の記者に連絡先を聞かれ渡された紙に書くと、それがリプロの社長だった堀威夫さんの手に渡り、堀さんは舟木さんに歌を録音したテープを送ることを依頼。
そのテープを聞き、堀さんは舟木さんを上京させてレッスンを受けさせること決意しました。
上京後は自由ヶ丘学園高校に転校。
東京都目黒区自由が丘二丁目にある男女共学の私立高校で、現在の偏差値は42~52。
高校卒業後にデビューしました。
舟木一夫の経歴 高校三年生が大ヒット
1963年6月5日に『高校三年生』で歌手デビュー。
高校は3月に卒業していましたが学生服を着て歌いました。
『高校三年生』は累計100万枚を超えるヒットを記録し、発売2ヵ月後には本人が主演した同タイトルの映画も大ヒット。
1963年末に第5回日本レコード大賞では新人賞を受賞。
また、第14回NHK紅白歌合戦にも初出場を果たし、デビュー曲で一躍スター歌手になりました、
学園三部作と言われた『修学旅行』『学園広場』もヒットし、同時期にデビューした西郷輝彦さん、橋幸夫さんとともに「御三家」として人気を集めました。
1966年には時代劇『銭形平次』(フジテレビ)のテーマソング『銭形平次』を歌い、ロングヒットとなっています。
結婚や妻、子供
1974年4月、29歳の時に、一般女性で8歳年下のの紀子さんと結婚。
妻の紀子さんは舟木さんの元ファンで、後援会が開いた茶話会で当時高校生った紀子さん出会い、紀子さんが大学生のなった時に後援会を通じて連絡を取り、彼女の家を訪ねて初対面の両親に「結婚を前提にお付き合いさせてください」と申し入れたといいます。
両親は突然のことに驚きましたが、紀子さんの意思を尊重して交際を許可。
紀子さんが大学4年生で21歳だった1973年7月に婚約しました。
子供は息子が1人で、1980年に誕生しています。
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