福士加代子の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 福士加代子 スポーツ

元陸上競技選手で10km、15kmの元アジア記録、3000m・5000mの元日本記録保持者で、4度オリンピックに出場した福士加代子さん。
陸上を本格的に始めたのは高校2年生からでした。
この記事では福士加代子さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

福士加代子の学歴

福士加代子の学歴

小学校  不明
中学校  板柳町立板柳中学校
高校   五所川原工業高校
大学   進学していません

福士加代子の小学校

福士加代子さんの出身小学校は 不明

1982年3月25日生まれ、青森県北津軽郡板柳町出身。実家は理容室を経営。2人の兄がいる末っ子として育ちました。

小学生の頃から運動が大好きで、走ることは生活の一部だったといいます。
走って通学することが日課で、学も朝の授業前には何かしらの運動をする学校だったといいます。
小学生の時はソフトボールをやっていました。

福士加代子の中学校

福士加代子さんの出身中学校は 板柳町立板柳中学校

中学時代はソフトボール部に所属。
1年生の時には補欠でした、2年生からはキャッチャのレギュラーに定着。
バッティングでは中学3年間でクリーンヒットは1本だけ、中学最後の試合はパスボールでサヨナラ負けだったといいます。

福士加代子の高校

福士加代子さんの出身高校は 五所川原工業高校 機械科(偏差値47)

青森県五所川原市大字湊字船越にあった男女共学の青森県立高校。
設置学科は機械科、電子機械科、電気科、情報技術科。
2021年に周辺の県立高校と統合され、五所川原工科高校が開校。2023年に閉校になっています。

『機械科ですから。普通科がいやだったんです。小、中学校の延長みたいで。』

工業高校の機械科を選んだのは普通科がいやだったからで、工業が好きだからというわけではなく、「ただ入っただけ」と話しています。
高校にはソフトボール部がなく、野球部のマネージャーになろうと思いましたが、女子マネージャーは募集していなかったそうです。
アルバイトをしようと思っていたところ、友達に陸上部に誘われて入部。
友達がいたから入部しましたが、陸上がしたいとは思っていなかったそうで、練習も10周走るところをごまかして7周やめたりとサボりぎみで、自由にのびのび練習していたといいます。

陸上に対する意識が変化したのは高校2年生の時で、インターハイを目指して真剣に練習に取り組んでいた友達が、全国から選ばれた選手が集まる合宿に参加。
すると、部の先生の計らいで福士さんも参加することになったといいます。
合宿での練習はきつかったものの、それ以上に合宿でできた友達との交流が楽しく、「インターハイで会おう」との約束をしたことがきっかけで、本腰を入れて練習を始め、高校3年生の時には約束通りインターハイに出場。
3000mでかろうじて決勝に残り、結果は12位でした。

当時は家業の理容師を目指していて、理容師の国家試験の受験をするつもりでしたが、試験日とインターハイの日程が重なってしまい、インターハイを選択したといいます。

福士加代子の経歴 ワコールに入社

福士加代子のプロフィール

名前   福士加代子
生年月日 1982年3月25日
出身   青森県北津軽郡板柳町
身長   161cm
血液型  A型

インターハイに出場したことで実業団の目に留まり声がかかりましたが陸上には疎く、有森裕子さんや高橋尚子さんなどを育てた小出義雄さんなどにも声をかけられましたが、「この気さくなオジサンは誰だろう?」と思っていたといいます。

2000年にワコールに入社。選んだ1番の理由は正社員採用だったことでした。
入社後、駅伝、トラックレースで頭角を現し、入社翌年の2001年には3000m・5000m・10000mのジュニア日本記録を更新。
同年12月の全日本実業団対抗女子駅伝競走大会では最長区間の3区を担当し、16人を抜いて一躍有名になりました。
入社3年目の2003年には、3000m・5000mで日本記録を更新。日本選手権の10000mでも優勝しました。

オリンピックに4度出場

オリンピック初出場は、2004年アテネオリンピックでした。
5000mでも出場可能でしたが、10000mに絞り1種目で出場。
しかし、レース前に足を故障し、結果は27人中26位でゴール。ゴールタイムは33分48秒66と自己ベスト記録より3分近くも悪いタイムでした。
アテネオリンピック時はマラソンでの転向については消極的でしたが、2008年に1月に一般選手として大阪国際女子マラソンに参加。結果は19位でした。

2008年北京オリンピックは10000mに出場し、9位とな入賞は逃しました。
2011年10月のシカゴマラソンで2度目のマラソンに出場し、2時間24分38秒の自己ベストの3位でゴールしました。
2012年1月には4年前19位終わった、大阪国際女子マラソン出場し9位。

2012年ロンドンオリンピックでも10000mに出場し10位。
2013年1月、大阪国際女子マラソンに2年連続して出場すると、日本人最高の2位でゴール。
その2年後の2015年に同レースで優勝したガメラシュミルコ選手が、ドーピング違反により2011年8月以降の記録が抹消されたため繰上げで優勝者となりました。

2016年1月、2016年リオデジャネイロオリンピックの代表選考会を兼ねた大阪国際女子マラソンに出場し、派遣設定記録を突破する2時間22分17秒で優勝。
2016年リオデジャネイロオリンピックでは女子マラソン代表で出場。
日本人ではトップの14位でゴールしましたが、4回目のオリンピックでも8位以内の入賞には届きませんでした。

2020年東京オリンピックの出場も目指しましたが、マラソン、10000m共に出場はかないませんでした。
2022年1月、39歳で現役を引退。
引退後は所属先のワコールで陸上部アドバイザーを務め、解説者としても活動しています。

福士加代子の結婚歴や夫、子供

2017年3月に結婚していることが報じられました。夫は6歳年上のテレビディレクターの男性。
夫は2005年から福士さんの取材をしていたといい、出会ってから12年目の結婚でした。

2024年3月現在、子供はいないようです。

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