藤岡弘、の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 藤岡弘 俳優

初代仮面ライダーの本郷猛役を演じたことで知られる俳優の藤岡弘、さん。
この記事では藤岡弘、さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

藤岡弘、の学歴

藤岡弘、の学歴

小学校  不明
中学校  松山市立道後中学校
高校   松山聖陵高校
大学   進学していません

藤岡弘、の小学校

藤岡弘、さんの出身小学校は 不明

1946年2月19日、愛媛県上浮穴郡久万町(現・久万高原町)出身。本名は藤岡 邦弘(ふじおか くにひろ)。
芸名は藤岡弘でしたが、『我未だ完成せず』との意味を込めて芸名の最後に“読点”を付けています。

父親、母親、兄の4人家族。父親は愛媛県警の警察官で、全国的にも知られた柔道家。家伝の流派の古武術「藤岡流」を継承する武道家でもありました。
母親は茶道、華道、琴の師範でした。

父親が勤務していた駐在所で生まれ、幼少期は病弱。肺炎にかかった時には生死の境をさまよい、一時は医者も諦めたといいます。
小学校に上がると、父親に武道の手ほどきを受けて鍛錬と重ね、母親も食事に気を使ってくれたことで体が丈夫になっていったといいます。
小学校時代には父親の仕事の都合で転校が多く、いじめの対象にもされたそうです。

厳しく育てられましたが、小学6年生の時に父親は何も言わず突然に失踪。
以降は兄と共に母子家庭で育ち、生活は貧しかったといいます。
藤岡さんが芸能界で活躍するようになると、父親から「会いたい」と連絡がありましたが、父親を許せない気持ちがあった藤岡さんは拒否。

『許すことができなくて。会って話して渡したいものがあると、すまなかったと言われても、聞く耳を持たずに拒否した。自分の中では非常に悔やんでいる。やはり会っておけばよかった。何を渡したかったのかもわからなかった』

その数ヵ月後に父親が亡くなったことを知ったといいます。

藤岡弘、の中学校

藤岡弘、さんの出身中学校は 松山市立道後中学校

中学時代には春の花見の席でお酒やドリンク、アイスクリームを売るアルバイトをして家計を助けました。
安かったことから買った中古の自転車は何度も壊れ、部品を探して修理を繰り返していろんな部品が組み合わさり、オリジナルの自転車になったといいます。

藤岡弘、の高校

藤岡弘、さんの出身高校は 松山聖陵高校 工業科(偏差値38)

愛媛県松山市久万ノ台にある男女共学の私立高校。設置学科が普通科(偏差値51)と工業科(偏差値38)。
出身者にはお笑いコンビ・デンジャラスのノッチさんなどがいます。

高校時代には柔道部に所属し、主将も務めましたが、デパートでの配達などのアルバイトもしていました。
当初は自転車で配達していましたが、バイクで配達している人が何倍も速さで配達しているのを見てバイクの免許を取得したそうです。
アルバイトで稼いだお金で、毎週土曜日には3本立ての映画をよく観ていたといいます。
このことがきっかけで俳優志望になり、1964年、高校卒業後は大学などには進学せず、アルバイトで貯めた3万円を持って上京しました。

藤岡弘、の経歴 仮面ライダーでブレイク

藤岡弘、のプロフィール

名前   藤岡弘、
生年月日 1946年2月19日
出身   愛媛県久万高原町
身長   180cm
血液型  O型
所属   SANKIワールドワイド

1964年に上京後は劇団NLT俳優教室に入所し、アルバイトをしながら演技を学び、翌年の1965年に松竹にニューフェイスとして入社。
同年4月に香山美子さんと都はるみさん主演映画『アンコ椿は恋の花』で俳優デビュー。
同年5月公開の映画『若いしぶき』で映画初主演をを務めました。

1970年にアクションドラマ『ゴールドアイ』(日本テレビ)、時代劇『千葉周作 剣道まっしぐら』(TBS)にレギュラー出演し、1971年に特撮テレビドラマ『仮面ライダー』(テレビ朝日)に主人公・本郷猛/仮面ライダー 役で出演。
仮面ライダーは最高視聴率30%を超える大ヒットとなり、藤岡さんは25歳で一躍スター俳優になりました。

藤岡さんは本人がアクションもこなしていましたが、第9話・第10話の下り坂をバイクで走り下りるシーンで事故が発生。
全治3か月~6か月の重傷と診断され長期休養を余儀なくされました。
事故が番組放送開始の前で、仮面ライダー2号を登場させることになり、藤岡さんは1972年1月の第40話、41話でゲスト出演という形で復帰し、第53話で本格的に主役に復帰。

1972年には、NHKドラマ『赤ひげ』のオーディションを受けて合格しましたが、『仮面ライダー』の制作元である東映には無断だったため、トラブルになり『赤ひげ』の出演は見送られ、藤岡さんは一時失踪。
『仮面ライダー』は撮影中だっため現場は混乱しスケジュールは変更されました。
その後、伊豆周辺でマスコミに発見され、

『「赤ひげ」のオーディションを受けたのは自分の実力を試しただけに過ぎない。俳優ならば自分のステップアップを目指すのは当然のこと。 逆に現在の地位に満足している俳優の方が問題なのが現実ではないか これは俳優だけでなく他の職業についても同じことがいえると思う。』

と心境を明かしたといい、このコメントは反響を呼び、藤岡さん同情的な声が上がり、民放各局からも出演要請が相次いだとといいます。

1973年には映画『日本沈没』で主演を務め、1974年にが大河ドラマ『勝海舟』の坂本龍馬役に抜擢されました。以降、大河ドラマには2023年の『どうする家康』まで8作に出演しています。

1984年にはアメリカ映画『SFソードキル』に主演。日本人として初めて全米映画俳優組合へ加入しました。

1997年、ゲーム機「セガサターン」のテレビCMでイメージ・キャラクター「せがた三四郎」に起用され大人気となり、2002年には川口浩さんの後任として、2代目隊長に起用された「藤岡弘、探検隊シリーズ」が開始しました。

藤岡弘、の結婚歴や妻、子供

藤岡弘、さんの結婚歴は2度。
最初の結婚1984年4月、38歳の時で、妻は5歳年下の女優・鳥居恵子さん。
ドラマの共演で出会い、結婚しましたが、結婚3年目の1990年に離婚。子供はいなかったようです。

再婚したのは2001年11月、55歳の時でした。 妻が24歳年下の一般女性。結婚時が31歳。
子供は娘が3人と息子が1人の4人で、2001年12月に長女の天翔愛さん、2003年12月に長男の藤岡真威人さん、2005年6月に次女の天翔天音さん、2008年1月に三女の藤岡舞衣さんが誕生。

兄弟全員、藤岡さんと同じSANKIワールドワイドに所属し、モデル、俳優活動をしています

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