若い頃はアクション映画で活躍し、ドラマ『寺内貫太郎一家』ではダンディな二枚名役でにブレイクした藤竜也さん。
主演映画『愛のコリーダ』では、「芸術か、ワイセツか?」で物議をかもし、裁判にまで発展しました。
この記事では俳優の藤竜也さん学歴、経歴、生い立ちについて紹介します。
藤竜也の学歴
藤竜也の小学校
藤竜也さんの出身小学校は 横浜市立一本松小学校
父親は横浜市の老舗工業用インク会社の社員で、1941年に父親の赴任地の中国・北京で3人兄弟の長男として誕生。
戦時中に帰国し、神奈川県横浜市に着いて間もなく、祖父がいた小田原市に疎開。終戦後に横浜市に戻りました。
小学6年生の時に父親が電車に撥ねられて他界。。
その後は母方の祖父を頼り葉山に移り、1年後にに横浜に戻りましたが、市内や県内を転々とし、小学校は5つの学校に通いました。
藤竜也の中学校・高校
藤竜也さんの出身中学校、高校は 関東学院中学校・関東学院高校
神奈川県横浜市南区三春台にある男女共学の私立学校。
出身者には俳優に高橋長英さん、声優の金田朋子さんなどがいます。
中学校の偏差値は50。完全中高一貫制のため高校は生徒を募集していません。
中学、高校時代は本牧あたりを中心に遊び、高校生の時にコーラを初めて飲んで、衝撃を受けたといいます。
藤竜也の大学
藤竜也さんの出身大学は 日本大学 芸術学部演劇学科(偏差値55)
大学は3校ほど受験し、たまたま合格したのが日本大学でした。 専攻する学科を書くように言われ、なんとなくいいなと思った映画学科を希望しましたが、成績が足りず演劇学科になったそうで、俳優になりたかったわけではなかったといいます。
大学1年の冬に、有楽町マリオンの前で彼女と待ち合わせをしていた時に日活のスタッフにスカウトされ、スカウトマンの『100万、200万なんて、金の単位じゃなくなりますよ』の言葉を聞き、
『そんな世界があるなら見てみたい』
と芸能界入りを決め、日活に入社。その後、それほど勉強する気もなかったことから大学は中退しました。
しかし、ニューフェイスとして入りましたが大部屋で、当初は毎日通行人などの役もあり、『話が違う』と思ったといいます。
藤竜也の経歴
1962年10月公開の映画『望郷の海』で俳優デビューしましたが注目はされず、大学も辞めてしまったことから、俳優業について真面目に考えるようになったといいます。
当時、斬新な演出で人気となっていた映画監督の鈴木清順さんを訪ね、出演をアピールすると
『君には和田浩治のような育ちの良さも何もない』
とダメ出しされ、このことがが俳優としての転機になったと、後のインタビューで話しています。
1966年、38作目の出演作となった渡哲也主演映画『嵐を呼ぶ男』で注目され、翌年以降、所属していた日活がアクション路線へシフトすると、1969年には『野獣を消せ』、『広域暴力 流血の縄張』などで準主役、メインキャストとして活躍。
1970年にはテレビドラマにも活動の場を拡げました。
その後、1971年に日活を離れ、東映に所属しましたが作品に恵まれず、1973年に出演したドラマ『時間ですよ』の謎の男・風間役で注目を集め、1974年の『寺内貫太郎一家』のダンディな 上条裕也 役でブレイクしました。
1976年公開の大島渚監督の映画『愛のコリーダ』では主演を務め、
第1回報知映画賞・主演男優賞
を受賞しましたが、度々現れた性的シーンが「芸術か、わいせつか」で物議をかもし、宣伝用の公式本として発売した書籍の一部がわいせつ文書図画に当たるとして、わいせつ物頒布罪で監督と出版社社長が起訴され、藤さんも参考人として警視庁で聴取を受けたが、7年後に裁判で無罪となりました。
1974年から音楽活動も始め、『愛のコリーダ』以降は一時期俳優業から遠ざかり、音楽活動に専念し、『横浜ホンキートンクブルース』はロングヒットになりましたが、1978年にテレビドラマ『大追跡』(日本テレビ)で俳優に復帰。
以降は刑事ドラマなどのアクション作品や、時代劇でも活躍。
2004年の主演映画『村の写真集』では、
第8回上海国際映画祭最優秀男優賞
を受賞。
2015年にはNHKのドラマ『かぶき者 慶次』で主演、2015年には北野武監督の映画『龍三と七人の子分たち』でも主演を務め、
第25回東京スポーツ映画大賞・主演男優賞
を受賞しました。
藤竜也の妻や子供
藤竜也さんは1968年に女優の芦川いずみさんと結婚。
藤さんが27歳の時で、芦川さんは6歳年上で33歳でした。
馴れ初めは1965年公開の映画『四つの恋の物語』で共演したこと。
『かつて松田聖子さんが「ビビビッときた」なんてうまいこと言っていましたけど(笑)、まさにそういう感じでして。』
芦川さんは同じ日活のトップ女優で、まだ駆け出しだった藤さんと交際は周囲から嫉妬され、誰も口きいてくれなかったほどだったといいます。
結婚は日活首脳陣にも反対されましたが、押し切る形で結婚しています。
唯一の見方になってくれたのは先輩の石原裕次郎さんで、日活との間に入ってくれたそうです。
子供は息子が1人いるようです。