「内田康夫サスペンス 浅見光彦シリーズ」で初代・浅見光彦 役を演じたことで広く知られる俳優の榎木孝明さん。
不食を30日したことでも話題になりました。
この記事では榎木孝明さんの学歴、経歴、生い立ちを紹介します。
榎木孝明の学歴
榎木孝明の小学校
さん榎木孝明の出身小学校は 菱刈町立湯之尾小学校校
現在は伊佐市立湯之尾小学校。
鹿児島県伊佐郡菱刈町、現在の伊佐市出身。
父親、母親共に小学校の教師、3人の姉がいる末っ子。
彫が深いことからハーフとも噂されていますが、両親は日本人でハーフではありません。
父親は水泳が得意で走るのも速く、スポーツマンでしたが、榎木孝明さんは運動神経があまり良くなく、小さい頃は川に連れていかれて、頭から水に突っ込まれたりなど、スパルタ教育だったといいます。
小学生の頃から独りで絵を描くことが好きな子供でした。
榎木孝明の中学校
榎木孝明さんの出身中学校は 菱刈町立菱刈中学校
現在は伊佐市立菱刈中学校。
中学時代に剣道を習い始めましたが、練習が厳しくて耐えられず半年で退部しています。
榎木孝明の高校
榎木孝明さんの出身高校は 大口高校(偏差値46)
鹿児島県伊佐市大口里にある男女共学の県立高校。
ラグビーの強豪校です。
出身者には落語家の春風亭柳之助さん、漫画家の井上雄彦さんなどがいます。
高校時代は美術部とバスケットボール部を掛け持ちしていました。
バスケットボール部に入ったのは、学校で運動部以外は軟弱だと見られる傾向があり、カムフラージュするために入部したそうです。
バスケ部の上下関係は厳しく、
『お前、女と一緒に歩いていなかったか』
と言われ殴られたこともあったといいます。
榎木孝明の大学
榎木孝明さんの出身大学は 武蔵野美術大学造形学部デザイン科(偏差値50)
東京都小平市小川町にある私立大学。
現役時代の大学受験には失敗、上京して1年の浪人生活を経て入学しました。
大学では陶芸家を目指して、陶器や磁器を専攻していました。
浪人時代に雑誌で小さな劇団の団員募集記事を見つけ、自分自身を試してみたいという衝動から応募し入団。
週に1度、芝居だけでなく、演出の助手や照明なども手伝うと芝居に夢中になり、本格的に芝居をするために、1978年に劇団四季の試験を受けて合格。
劇団四季には舞台『カッコーの巣をこえて』を観て、こんなセンスのいい芝居をやる劇団があるんだと思い入りましたが、ミュージカルをやる劇団とは知らずに入ったそうです。
20歳の時に父親が亡くなり、アルバイトをしなくてならない状況になり、芝居との両立が難しくなり、大学は2年で中退しました。
榎木孝明の経歴
劇団四季に入団した翌年には舞台『こどものためのミュージカル・プレイ』でデビューしましたが、劇団のミュージカル志向が強かったことから、6年で退団。
劇団四季退団後、インドを1ヶ月放浪。
帰国後に、1984年4月から放送の連続テレビ小説『ロマンス』オーディション受けると主役に抜擢。
当時、28歳。
1967年の『旅路』以来17年ぶりの男性が主人公の作品でした。
平均視聴率39.0%、最高視聴率は47.3%を記録し、一躍注目の俳優となりました。
1995年からはフジテレビ系の『浅見光彦シリーズ』に主演。
初出演は39歳の時で、2002年、46歳の時に年齢を理由に浅見光彦役から退きましたが、原作者の内田康夫さんの希望で、光彦の兄で警察庁刑事局長である浅見陽一郎役として継続て出演しました。
30日の不食
2015年には30日間の不食を実践しとを公表。
不食は、食事を取らないことで神経が研ぎ澄まされ体調も良くなったことが度々あり、ドラマの撮影前には数日の不食をして撮影に入ると、良いこと良いことしか起きてないと感じたことがきっかけだったそうです。
30日間の不食の時は、都内のある病院の一室に寝泊りし、血圧や血糖値などの検査をしながら、ドクターストップがかかった場合には中断するつもりだったそうです。
不食の期間には水とコーヒーは摂取、血糖値が下がった時だけ低血糖発作を起すことを防ぐためにブドウ糖のかけらや飴をなめたといいます。
不食は賛否両論があることも理解していて、食べないことを推奨しているわけでないそうです。
30日の不食で体重は11kg減少しましたが、期間中、空腹感はあまり感じなかったといいます。
以降も10日間程度は食べないことが何度かあると話しています。
榎木孝明の結婚と妻、子供
榎木孝明さんの妻は女優の鈴木輝江さん。
1996年、40歳の時に結婚しました。
鈴木輝江さん1970年1月10日生まれで、年齢は14歳年下。
子役の出身で2代目あばれはっちゃくではヒロインを演じていました。
子供は3人で、息子が2人と娘が1人のようです。
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