主演映画「女賭博師シリーズ」の「入ります」のセリフで一世風靡した女優の江波杏子さん。
刑事ドラマ「Gメン’75」の刑事役でも人気を集めました。
この記事では江波杏子さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
江波杏子の学歴
江波杏子の小学校
江波杏子さんの出身小学校は 不明
1942年10月、東京都渋谷区千駄ヶ谷生まれ。本名は野平 香純(のひら かすみ)。弟が2人いる3人きょうだい。母親は戦前に東宝で活躍した映画女優の江波和子さん。
3歳の頃から母親に家事を仕込まれ、礼儀作法や掃除に厳しく、あまり甘えることはできなかったといいます。
母親は江波さんが5歳の時に肺結核で他界。母親が亡くなった後は唯一母親が残した本を見て過ごすことが多かったそうです。
父親は母親が亡くなった後に2度再婚し、事実上3人の母親元で育ちました。
小学5年生の時にキャロル・リード監督の映画『落ちた偶像』を観たことがきっかけで、女優になりたいと思うようになりました。
江波杏子の中学校・高校
江波杏子さんの出身中学校・高校は 宝仙学園中学校・宝仙学園高校
東京都中野区中央二丁目にある私立学校。
女子校でしたが、2007年に「理数インター」という男女共学部が設置されました。
中学校の偏差値は52、高校の偏差値は45~64で、普通科理数インターコースが64、 通科こども教育コースが45。
出身者には女優の田村奈巳さん、シンガーソングライターのいいくぼさおりさんなどがいます。
中学時代に亡くなった母親の仕事に就きたいと、本格的に女優を志し、1959年、16歳の高校在学中に大映のニューフェイスのオーディションを受けて合格。
13期ニューフェイスとして、大映に入社しました。
オーディション時はには年齢を1歳偽り、母親が女優だったことは言わなかったといいます。
高校は2年で中退し、1960年、17歳の時に映画『明日から大人だ』で女優デビューしました。
芸名の「江波杏子」は母親の芸名と室生犀星さんの新聞連載小説「杏っ子」に由来しているといいます。
江波杏子の経歴 女賭場シリーズがヒット
1960年にデビュー後数年は日本人離れした外見から、若尾文子さん、野添ひとみさんなどが演じるヒロインの純情ぶりを引き立てる悪女や情婦役など脇役が続きました。
1965年にはエランドール賞・新人賞を受賞し、翌年の1966年に怪我をした若尾文子さんの代役として映画『女の賭場』の主演・昇り竜のお銀 役に抜擢。
同映画の胴師ぶりがハマり映画ヒット。
以降は昇り竜のお銀を主人公とした『女賭博師シリーズ』が1971年の『新女賭博師 壷ぐれ肌』まで17本が製作され、 同シリーズで江波さんが賽を振る際に放つセリフ、「入ります」は当時、大流行しました。
1973年に主演を務めた『津軽じょんがら節』 で、
第47回キネマ旬報ベスト・テン 主演女優賞
を受賞。
1981年4月からは刑事ドラマ『Gメン’75』(TBS)に津村冴子警部補 役で出演し、市民を守る人情味あふれる演技で人気者になりました。
以降もテレビ、映画、舞台と幅広く活躍しました。
江波杏子の結婚や夫、子供
江波杏子さんは結婚歴はなく生涯独身でした。
20代の頃には雑誌の対談がきっかけで、当時まだ10代だった萩原健一さんと交際していましたが結婚には至りませんでした。
江波杏子の死因と晩年
江波杏子さんは年を重ねても、コンスタントに活動していましたが、、2018年10月26日に体調不調を訴え、緊急入院。
4日前の10月22日にはNHKのラジオドラマの収録に参加していました。
入院する際には「苦しくて息ができない」と訴えながら、マネージャーに荷造りを頼み、
『赤い洋服、入れておいてね。メイク道具は絶対忘れないで』
と伝えたといいます。
入院後、回復することなく、翌日の10月27日に肺気腫の急性増悪のため死去。76歳でした。
遺作は2019年1月11日から3月1日に放送されたNHK BSプレミアム『小吉の女房』。
映画での遺作は2018年4月6日公開の『娼年』。
ラジオドラマでの遺作は亡くなり5日前に収録したNHK-FM放送の『FMシアター 罵詈雑言忠臣蔵』で2018年12月8日に放送されました。