団時朗の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 団時朗 俳優

「帰ってきたウルトラマン」で主人公の郷秀樹役を演じた俳優の団時朗さん。
高校卒業後に上京しモデルとして人気を博しました。
この記事では俳優の団時朗さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

団時朗の学歴

団時朗の学歴

小学校  不明
中学校  平安中学校
高校   平安高校
大学   進学していません

団時朗の小学校

団時朗さんの出身小学校は 不明

1949年1月30日生まれ、京都府京都市出身。本名は村田 秀雄(むらた ひでお)。
父親はイギリス系アメリカ人、母親は日本人でハーフとして誕生しました。
父親はアメリカ人軍人で、2歳の時に朝鮮戦争で戦死。母親は小唄の師匠でした。

子供の頃は京都の長屋に住んでいて、近くの銭湯が休みの日には白い幕を張って、映画の上映会をしていたそうで、よくチャップリンの映画を観ていたといいます。

団時朗の中学校・高校

団時朗さんの出身中学校・高校は 平安中学校・平安高校

京都府京都市下京区にある男女共学の私立学校。
1876年(明治9年)に滋賀県彦根市に西本願寺系寺院の子弟教育のため創設された金亀教校の流れを汲む、仏教系の学校。
2003年までは男子校で、2008年に校名が龍谷大学付属平安中学校・高校に改称されています。
硬式野球部は強豪で、夏の甲子園には2018年までで34回出場して優勝3回、準優勝4回の記録を持っています。
出身者には多くのプロ野球選手の他、俳優の志賀勝さん、段田安則さんなどがいます。

平安高校在学時中の1966年に母親が知り合いだった大映の三隅研次監督に頼み、勝新太郎主演の『酔いどれ博士』に端役で出演し映画デビュー。
その後も大映撮影所に出入りし、エキストラをしていました。

当時の大映の看板女優の1人だった江波杏子さんの目に留まり、榎並さんが友人のファッションデザイナーに団さんの写真を送ったことがきっかけでモデル活動を開始。
1967年3月に高校卒業後は、上京してモデル活動に専念しました。

団時朗の経歴 帰ってきたウルトラマンの主演に抜擢

団時朗のプロフィール

名前   団時朗
生年月日 1949年1月30日
没年月日 2023年3月22日(74歳没)
出身   京都府京都市
身長   187cm
血液型  AB型
所属   アルファエージェンシー

上京後間もなくの1967年5月、18歳の時に前田美波里さんと資生堂サンオイルのテレビCMに出演。
1968年には同社の男性化粧品「MG5」のCMに出演し注目され、モデルとして大人気となりました。
同年5月公開の渡哲也さん主演映画『わが命の唄 艶歌』に出演し、6月には同映画の主題歌『バラの恋』で歌手デビュー。

1971年、22歳の時に特撮ドラマ『帰ってきたウルトラマン』の主演に抜擢。
主題歌の『帰ってきたウルトラマン』も歌いました。

『主役に決まった細かな事情は、実はあまり知らないんですよ。』

初めての大きな作品でしたが当たり役となり、俳優として地位を確立。
その後も『スーパーロボット マッハバロン』、『ロボット8ちゃん』などの特撮ドラマにレギュラー出演し、1975年に放送された『少年探偵団』では怪人二十面相役を演じました。
1984年の舞台『ハムレット』以降は舞台でも活躍し、ミュージカルからストレートプレイまで幅広く出演しました。

団時朗の結婚歴や妻、子供

団時朗さんに結婚歴はなく、生涯独身でした。

若い頃には婚約し、ハワイの教会で式を挙げる予定でしたが、式の直前に婚約者から「やっぱりやめよう」と言われ破談になったことがあったといいます。

死因や晩年

団時朗さんは2017年夏に肺がんと診断。
治療をしながら、俳優活動を続けていいましたが、2022年末に体調が悪化し入院。
2023年3月22日に肺がんのため、74歳で亡くなりました。

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