「キレ芸」でお馴染みのお笑い芸人・カンニング竹山さん。
幼稚園の頃は運転手付きのベンツで送迎されるほど裕福な家庭で育ちました。
この記事ではカンニング竹山さんの学歴、経歴、生い立ち、芸人になったきっかけなどについて紹介しています。
Contents
カンニング竹山の経歴・プロフィール
カンニング竹山の小学校 裕福な生活から一変
福岡市立七隈小学校
さんの出身小学校は1971年4月2日生まれ、福岡県福岡市城南区出身。6歳年上の兄と3歳年上の姉がいる末っ子。
実家は会社を経営していて、幼稚園の頃には運転手付きのベンツで送り迎えをされるなど、裕福な家庭に育ちました。
習い事はバイオリンで、ドーベルマンと秋田犬を飼っていといいます。
しかし、小学校3年生の時い会社は倒産。
『俗に昔で言うちょっと怖めの人がガンガンガンガン来たりとか、父と仲いいと思っていた人たちが凄くひょう変してと言うか、“お金返せやー!”って来たりとか、怖かったですね』
父親は知り合いの会社で働き、母親はパートに出る生活になったそうです。
小学校は福岡県福岡市城南区七隈4丁目にある公立小学の七隈小学校を卒業。
バスケット部に所属していました。
小学生時代は漫才ブームで、ビートたけしさんの漫才コンビ「ツービート」の漫才を見て衝撃を受け、小学4年生の頃にはなんとなくお笑い芸人になりたいと思うようになっていたといいます。
カンニング竹山の中学校 バスケ部で活躍
カンニング竹山さんの出身中学校は 福岡市立梅林中学校
福岡県福岡市城南区梅林4丁目にある公立中学校。
相方だった中島忠幸さんとは小学校、中学校の同級生でした。
中学時代もバスケットボール部に所属。
1年生からレギュラーと務め、県大会にも出場し高校進学の時には複数の高校からスカウトが来るほどの選手だったといいます。
しかし、中学でバスケットボールは辞め、推薦は受けずに高校に進学しました。
中学時代には「とんねるず」の大ファンで、とんねるずが福岡に来た時には、ホテルのロビーで出待ちをしたこともあったといいます。
カンニング竹山の高校 13億の借金
カンニング竹山さんの出身高校は 早良高校 (偏差値42)
福岡県福岡市早良区小笠木にある男女共学の福岡県立高校。
出身者にはタレントの古川真奈美さんなどがいます。
高校時代は柔道部に入部しましたが、先輩がタバコを吸ったことで1年で廃部になり、帰宅部になたといます。
その後は部活に入らずバンドを結成して、ボーカルを担当していました。
高校生の時はバブル期で父親が不動産で成功。
軽自動車だった車がベンツになるなど生活は再び裕福なりましたが、バブルの終演と共に父親は脳溢血で他界。
すると、父親が竹山さんと兄を会社の社員ということにして土地を売買していたことが発覚。
兄と竹山さんは借金13億円の返還を求める裁判を起こされ、2人は遺産を放棄。
母親の名義だった実家以外は全て手放したそうです。
高校卒業後は、上京してお笑い芸人なるつもりで大学進学を目指し、帝京大学と高千穂大学を受けました不合格。
予備校に通って浪人生活を送りましたが、同じく浪人をしてた小学校の同級生の田中健二さんとお互いに通っていた予備校の名前からとったお笑いコンビ「代々木くんと河合くん」を結成。
予備校を辞めて、お笑い芸人としての活動は始めました。
カンニング竹山の学歴
「カンニング」を結成し「キレ芸」でブレイク
コンビ「代々木くんと河合くん」で、1990年4月に開催されたテレビ西日本のオーディション番組『第1回激辛!? お笑いめんたい子』で優勝。
5月にコンビで福岡吉本第1期生として所属。同期には博多華丸・大吉がいました。
コンビ名は「代々木くんと河合くん」は予備校側からNG]た出たため「ター坊ケン坊」に改名。
コンビは1年で解散。福岡吉本は辞めて上京しました。
上京後、同じく上京していた小学校、中学校の同級生の中島忠幸さんと定食屋で偶然に再会。
上京から1年後の1992年に中島さんとお笑いコンビ「カンニング」を結成。
『市民会館みたいなホールで、「次はカンニングです、どうぞ!」と言われて、出て行ったらワーって!言われて。』
コンビ名は中島さんが夢で「カンニング」というコンビ名で自分達が漫才をやって盛り上がっていたという夢を見たことで付けたといいます。
それから結成から約10年後に、テレビなどのに出だした後、関東の市民会館で漫才をやて盛り上がった時に中島さんに「これや!俺が見たのこの夢」と言われたそうです。
渡辺プロダクションを経て、サンミュージックに所属。
事務所の先輩だったブッチャーブラザーズのリッキーさんの提案で「キレ芸」を開始。
「キレ芸」は2人で居酒屋で店員に説教したり、電車の中で怒ったりしている人を見て考え、芸として固まるまでには2年かかったといいます。
2003年に『めちゃ2イケてるッ!』の「笑わず嫌い王決定戦」に出演したことがきっかけで、注目を集めブレイク。当時30歳でした。
しかし、中島さんは2004年に急性リンパ性白血病発症。
同年12月から休業し、2005年1月に白血病の治療中であることを公表。
その後も治療を続けましたが、2006年12月にウイルス性肺炎の併発のため、35歳の若さで亡くなりました。
以降はカンニング竹山の名前でピン芸人として活動しています。
結婚や妻、子供
カンニング竹山さんは2007年3月、35歳の時に結婚。 妻は2歳年上の元会社員の女性。
馴れ初めはライブの打ち上げでした。
21歳の時に先輩主催のライブに参加した時、妻は主催者と知り合いで観客として女性数名で見に来ていて、ライブ終了後に店で飲んでいたところ、偶然にその店が打ち上げの場所となり出会ったそうです。
『俺とかもナンパじゃないけど、「飲みましょうよ~!」みたいな。ところが、かみさんはそういう(ノリの)人が大嫌いだから。まず芸人という職業の人も大嫌いだから。芸能ゼロだから…本当にそれから2年ぐらいは俺のこと大嫌いだったはずよ』
竹山さんは猛アプローチを続け、妻の態度も徐々に変わり交際に発展。
10年以上の交際期間を経て結婚しました。
『僕ら夫婦も子どもがいなくて、僕は子どもがほしいかと言われれば、ほしいと思います。だけど、お互いに身体が悪いとかそういうことじゃなくて、たまたま流れで子どもができなかった。』
自然な流れで子供は出来ず、40代になった頃に「不妊治療」をするか夫婦で話し合い、「子どもはいいんじゃないか」という結論を出したそうです。