「北の国から」で「中畑のおじさん」を演じたことでも知られる俳優の地井武男さん。
高校時代にはテニスでインターハイに出場しました。
この記事では地井武男さんの学歴、経歴、生い立ちや俳優になったきっかけ、晩年について紹介しています。
地井武男の経歴・プロフィール
地井武男の小学校
地井武男さんの出身小学校は 八日市場市立中央小学校
千葉県匝瑳郡八日市場町(現・匝瑳市)生まれ。8人兄弟の末っ子として誕生。
兄弟は長兄以外は全員女性で、末っ子だたこともあり姉には溺愛されて育ちました。
実家はバナナなど輸入果物を販売する果物問屋。父親は地元の名士で町会議員も務めていたといいます。地主で自宅は広く、父親が戦前にソフトテニスの選手だたことから庭にはテニスコートがあり、テニスを教わっていました。
卒業した八日市場市立中央小学校は、現在は匝瑳市立八日市場小学校になっています。
幼少期に小劇団の巡業公演を見たことで芝居に興味を持ち、小学校の学芸会では姉が作ってくれた衣装を着て、毎回主役を演じていたといいます。
地井武男の中学校
さんの出身中学校は 不明
中学校は地元の公立中学校のようですが学校名は不明。
中学時代はテニス部に所属していました。
小学6年生の頃にあまりにわんぱくだったことから、父親に絵画を習わされ、それ以降、絵画に凝り、クレヨンと水彩絵具はいつも持ち歩いていたといいます。
中学生の頃には、日活映画の描く青春像に衝撃を受け映画スターの石原裕次郎さん、小林旭さん、赤木圭一郎さんなどに憧れていました。
地井武男の高校
さんの出身高校は 匝瑳(そうさ)高校 (偏差値61)
千葉県匝瑳市八日市場イにある男女共学の千葉県立高校。
設置学科は普通科、理数科。
出身者にはお笑いコンビ・空気階段の鈴木もぐらさん、漫画家の道満晴明さんなどがいます。
高校時代もテニス部に所属し、高校3年生の時には県大会、インターハイ、国体に出場しました。
地井武男の学歴
俳優デビュー後
高校卒業後は俳優を目指して、1963年に俳優座養成所を受験し、第15期生として入所。
同期は原田芳雄さん、林隆三さん、太地喜和子さん、赤座美代子さん、前田吟さん、夏八木勲さん、高橋長英、竜崎勝さん、秋野太作さん、栗原小巻さん、小野武彦さん、村井国夫さんなど後に第一線で活躍するメンバーが多く、「花の15期生」と呼ばれました。
1966年に養成所を卒業後は、オンシアター自由劇場の創立メンバーとして参加して、同劇団で活躍。
1968年に『斬る』で映画デビュー後は、ドラマ、映画で活躍。
1970年の『沖縄』で映画初主演を務め、1972年の主演映画『海軍特別年少兵』では、
毎日映画コンクール・男優演技賞/男優主演賞
を受賞しました。
1982年からは人気刑事ドラマ『太陽にほえろ!』(日本テレビ)に降板した竜雷太さんの後任として出演。1986年の番組終了まで出演しました。
その後はバラエティなどにも出演するようになり、おやつカンパニー「カラカリベビースター」のCMでは「ひと袋」をもじった「ヒトフクロウ」として出演。
頭部にフクロウのかぶり物をかぶり「首から下は地井武男」とのセリフが話題になりました。
1981年からは『北の国からシリーズ』(フジテレビ)で中畑和夫/中畑のおじさん役を演じ、2002年の最後の『北の国から2002 遺言』まで出演しました。
2006年4月からは散歩番組『ちい散歩』が放送開始。
散歩ブームの火付け役となりました。
結婚歴や妻、子供
地井武男さんの結婚歴は2度。
1974年、32歳の時に3歳年上の女優・真木沙織 さんと結婚。
本名は佐和子さん。立教大学卒業後、劇団四季研究生を経て、1969年にテレビドラマ『さすらい』(TBS)で女優デビュー。
ドラマを中心に出演していましたが、結婚後は 引退したようです。
1977年頃には娘が誕生しましたが、2001年6月6日に8年間の闘病の末、乳がんのために61歳で亡くなり死別しています。
佐和子さんは生前に「私が死んだら、いい人見つけるんだよ」と語っていたといいます。
2004年2月、61歳の時に12歳年下で当時49歳だった元モデルのA子さんと再婚。
A子には離婚歴があり、息子もいて再婚同士でした。
地井さんとA子は10年前にCMで夫婦役で共演してからの知り合いで、前妻の佐和子さんとも交流があり、佐和子さんが乳がんで闘病している時には手紙でやりとりをしていたほど仲が良かったといい、死を悟った佐和子さんはA子に「お父さん(地井さん)をよろしくお願いします」と託していたといいます。
地井さんのプロポーズは「助けてください」だったそうです。
死因や晩年
2012年1月30日、視野が狭くなったため緊急入院。
検査をしたところ、心臓疾患が判明し、医師からは「無理をすれば心不全を引き起こす可能性がある」と診断されました。
その後、治療に専念すること決断し、『ちい散歩』のほか『地井武男の音楽旅行』『和風総本家』などのレギュラー番組を降板。
治療に専念していましたが、2012年6月29日午前7時5分、東京都港区の病院にて心不全のために他界。70歳没。
最後の仕事は『ちい散歩』で調布市布田を散歩した回で、2012年2月21日に放送されました。
俳優としての遺作は2012年秋に放映予定だったスペシャルドラマ『大崎郁三の事件散歩』(テレビ朝日)で、逝去翌日の6月30日に追悼番組として繰り上げて放送されました。