別所哲也の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 別所哲也 俳優

英語が堪能で、ハリウッド映画に出演経験もある俳優の別所哲也さん。

CMでハムの人としても知られます、

この記事では別所哲也さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

別所哲也の学歴

別所哲也の学歴

小学校  島田市立島田第四小学校
中学校  島田市立島田第二中学校
高校   藤枝東高校
大学   慶應義塾大学

別所哲也の小学校

別所哲也さんの出身小学校は 島田市立島田第四小学校

静岡県島田市出身。父親は単身赴任もあった銀行員、母親は美容室を経営、3歳年下と8歳年下の妹がいます。
大のおばあちゃん子で、学校から帰るとお菓子を作ってくれたり、おばあちゃんが面倒を見てくれていました。

子供の頃の習い事はそろばん、ピアノ。
小学校では飼育係で、野球チームの所属しポジションはファーストでした。

父親が単身赴任中には、町内会の集まりに父親の代理として出席もしていたといいます。

母方の親戚がサンフランシスコ在住で、送られてきた絵葉書をを見てアメリカに興味を持ち、小学6年生の頃には父親の持っていた英検の学習テープを意味が分からなくても、楽しんで聴くようになったそうです。

別所哲也の中学校

別所哲也さんの出身中学校は 島田市立島田第二中学校

中学時代はバレーボール部に所属。中学在学中の身長が20cm伸び、身長は小学6年時には162cmでそたが、中学3年生時には182cmになりました。

中学から本格的に英語の勉強を始め、中学3年生の時、海外ホームステイに行きたいと希望しましたが、親に許可してもらえなかったため断念しました。

両親には勉強しろと言われたことはなく、やりたいことは何でもやらせてもらっていましたが、唯一許してもらえなかったのがホームステイだったそうです。

別所哲也の高校

別所哲也さんの出身高校は 藤枝東高校 (偏差値66)

静岡県藤枝市天王町にあり男女共学の県立高校。
サッカーの強豪校で、出身者には多くのサッカー選手がいます。

高校でもバレーボール部に所属。高校時代はバレーボールに明け暮れ、県大会ではベスト4に進出し、国体強化選手にも選ばれました。

バレーボール三昧だったため、3年の夏に引退した時には成績は360人中287番だたといい、夏休みに夏期講習に通い、2週間、朝から晩まで勉強漬けの生活を送り、大学に合格しました。

別所哲也の大学

別所哲也さんの出身大学は 慶應義塾大学 法学部法律学科(偏差値68)

大学では英語を学ぶ目的で、英語サークルの『ESS』に所属。
慶應大学の『ESS』はドラマ、ディベート、スピーチ、ディスカッションの4セクションがあり、体を動かしたりしたりするのが好きだったことからドラマセクションを選択。

ここで芝居に出会い、芝居の面白さに目覚め、俳優になることを決意。

大学在学中の1987年にミュージカル『ファンタスティックス』で俳優デビューしました。

別所哲也の経歴

別所哲也のプロフィール

名前   別所哲也
生年月日 1965年8月31日
出身   静岡県
身長   186cm
血液型  A型
所属   パシフィックボイス

1990年公開の日米合作映画『クライシス2050』のオーデションに合格し、唯一の日本人キャストとしてハリウッドデビューしました。

1年半アメリカで過ごし、ギャラは10万ドル(当時のレートで約1400万円)で、撮影中は日常生活のための日当も45ドル支払われたそうです。

撮影現場では、それまで自信のあった英語が全く通じなかったり、他の俳優の演技にも圧倒されて打ちのめされされたといいます。

1991年の映画『波の数だけ抱きしめて』で、

第15回日本アカデミー賞・新人俳優賞

を受賞し、1992年4月から放送された『真夏の刑事』でドラマ初主演を務めました。

1996年から丸大食品のCMに出演し、CMの中で呼ばれた「ハムの人」としても知られるようになり、同CMには2006年まで10年間出演しました。

1999年から日本発の国際短編映画祭『アメリカン・ショートショートフィルムフェスティバル』を主宰。2004年には、新進若手映像作家の育成目的から東京都との共催になり『ショートショート フィルムフェスティバル アジア(SSFF ASIA)』になり、米国アカデミー賞公認映画祭にも認定されました。

2015年には第9回アジア・フィルム・アワードで、審査員を務めています。

2020年代に入ってから舞台を中心に活動しています。

別所哲也の妻と子供

別所哲也さんは2009年、43歳の時に結婚しています。

妻は1歳年下の日系アメリカ人の女性で、別所さんが映画『クライシス2050』のオーディションを受けた時に面倒をみてもらったホストファリーの娘でした。

出会った当時はカリフォルニア大学の学生で、可愛い子とは思っていましたが、ほとんど会うことはなく、意識もしていなかったそうです。

妻が大学を卒業して日本の不動産会社に就職して来日してから会うようになり、20年間以上友人関係が続いた後、37歳の時に交際がスタート。

一人旅をしておいしいもの食べた時に『一緒に食べたい』と思い浮かんだのが妻だったといいます。

子供は2009年7月に娘が誕生。

娘は約1100グラムの超未熟児として生まれ、一時は母子共に危険な状態で、娘はNICU(新生児集中治療室)に入りましたが、2人とも無事退院しました。

娘が3歳の時に披露宴を行いました。

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