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ばんばひろふみの学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 ばんばひろふみ

『いちご白書をもう一度』や『sachiko』の曲で知られるフォークシンガーのばんばひろふみさん。

元妻は平山みきさんです。

この記事では、ばんばひろふみさんの学歴、経歴、生い立ちを紹介しています。

ばんばひろふみの学歴

ばんばひろふみの学歴

小学校  京都市立清水小学校
中学校  立命館中学校
高校   立命館高校
大学   立命館大学

ばんばひろふみの小学校

さんの出身小学校は 京都市立清水小学校

京都市東山区祇園出身。馬場 弘文(ばんば ひろふみ)。
実家は祇園・八坂神社の近くののお茶屋で、母親は女将。自宅ではよく舞妓や芸妓を呼んで宴会が開かれていたといい、座敷から三味線などが聞こえていたといいます。

小学生の時にはバイオリンを習い、家庭教師もついていました。

ばんばひろふみの中学校

ばんばひろふみさんの出身中学校は 立命館中学校 (偏差値66)

京都府長岡京市調子一丁目にある男女共学の私立学校で、中高一貫校。
小学生の時の同級生のほとんどの家は、ばんばひろふみさんと同じような商売をしていましたが、立命館中学に入って、世間では商売をしているのはわずかで、サラリーマンの家庭の方が多いことを知り驚いたといいます。

中学時代にデビュー間もないビートルズの曲・「プリーズ・プリーズ・ミー」に出会い衝撃を受け、ロックにハマりギターを始めました。

ばんばひろふみの高校

ばんばひろふみさんの出身高校は 立命館高校 (偏差値69~72)

高校は内部進学で、立命館高校に進学。
出身者には声優・俳優の小山力也さん、お笑いコンビ・サバンナの八木真澄さん、高橋茂雄さんなどがいます。
高校時代はバンドを結成。当時は長髪で、バンドをやっているだけで不良と言われていました。

ばんばひろふみの大学

ばんばひろふみさんの出身大学は 立命館大学 経済学部(偏差値55)

大学入学時は学生運度の最盛期で、大学はバリケードで封鎖されていたため、入学後、2年間は大学内に一切入れなかったといいます。
おかげで音楽三昧で、当初はロックをやっていましたが友人に誘われて、「フォークの方がモテるかも」と思い、フォークをやり始めました。

大学卒業の進路に悩んでいた時に、同じく関西で音楽活動をしてた谷村新司さんに、「新しい音楽事務所が立ち上がるから一緒に参加しよう」と誘われ、その後、台g買う在学中の1971年にフォークグループ『バンバン』を結成。
1972年5月に『何もしないで』でデビュー。
1973年に大学を卒業しました。

ばんばひろふみの経歴

ばんばひろふみのプロフィール

名前   ばんばひろふみ
生年月日 1950年2月20日
出身   京都府京都市東山区
身長   172cm
血液型  B型
所属   アップフロントクリエイト

デビューしましたヒット曲は出ず、24歳の時に上京。
上京後はアルバイトをしながら音楽活動をし、ひと部屋のアパートで、バンバン、アリス、事務所社長と共同で生活をしていました。
1975年8月にリリースした5枚目のシングル『いちご白書をもう一度』が初登場は78位でしたが、12週目には1位を獲得し大ヒットとなり、100万枚を超える売り上げを記録。
1977年に『ばんばん』は解散し、1978年4月に『最終フライト05便』でソロデビュー。
1979年9月の4枚目のシングル『SACHIKO』がオリコンチャート2位にランクイン、自身最大のヒット曲となりました。
20代からラジオパーソナリティーとしても活躍し、「MBSヤングタウン」(MBSラジオ)や「セイ!ヤング」(文化放送)のパーソナリティを務めました。

平山みきと結婚

ばんばひろふみさんと平山みきさんは1977年2月に結婚。
元々ばんばさんは平山みきさんの大ファンで、音楽番組で共演し猛アタックして交際、結婚に至りました。
子供は、1981年2月に息子がの紘之信さんが誕生しています。
2005年1月に離婚、離婚の原因はばんばさんの女性問題でした。
その後、ばんばさんは一般女性と再婚しています。

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