「鎌倉殿の13人」に源頼朝の義父・北条時政を演じ、注目されブレイクした歌舞伎役者の坂東彌十郎さん。
スイスが好きで20回以上も行ったといいます。
この記事では坂東彌十郎さんの学歴、経歴、生い立ちや歌舞伎役者デビュー後などについて紹介します。
坂東彌十郎の経歴・プロフィール
坂東彌十郎の小学校
坂東彌十郎さんの出身小学校は 千代田区立麹町小学校
父親は昭和初期に歌舞伎役者も坂東好太郎さんで三男として生まれました。
本名は本間 寿男(ほんま ひさお)。
兄は関西歌舞伎の脇役で活躍した二代目坂東吉彌さん。
東京で生まれましたが、幼稚園に入る頃に父親の映画の仕事のため、京都の太秦に移りました。
京都ではバレエを習い、男の子は1人だけで、自分で習いたがったと後に言われたそうですが、理由は覚えていないといいます。
坂東好太郎さんは一度歌舞伎界を離れ、時代劇映画の二枚目スターとして大人気となり、坂東彌十郎さんが小学1年生の時に、再び歌舞伎の世界に戻っています。
歌舞伎に戻った後は父親は伯父の八世坂東三津五郎・十四世守田勘彌に稽古をつけてもらっていて、坂東彌十郎さんさんはテープ係をして同行していました。
小学生の時から歌舞伎俳優になりたいと思っていましたが、周囲の子供よりも背が高かったことから子役としては舞台に立たせてもらえなかったそうです。
坂東彌十郎の中学校
坂東彌十郎さんの出身中学校は 暁星中学校 (偏差値62)
暁星中学校は東京都千代田区富士見にある私立の男子校。
キリスト教カトリックに基づく教育を行っていて、フランス語を第一外国語または第二外国語として学ぶ学校です。
中学時代はバスケットボール部に所属。
バスケを始めるとますます背が伸び、周りには怒られました、バスケが面白くて、隠れて練習していたそうです。
坂東彌十郎の高校
坂東彌十郎さんの出身高校は 暁星高校 (偏差値-)
高校は内部進学で暁星高校に進学。
暁星学園は中高完全一貫制のため、高校での生徒募集はありませんが、毎年東大に合格者を出す進学校です。
坂東彌十郎さんの初舞台は1973年5月、高校在学中の17歳の時でした。
稽古とつけてくれていた、おじの八代目三津五郎さんが舞台に立たせてくれ、やっと一歩踏み出せたという喜びでいっぱいだったそうです。
高校卒業後は大学には進学していません。
坂東彌十郎の学歴
歌舞伎役者デビュー後
1973年5月に初舞台を踏みましたが、1975年1月におじの八世三津五郎さんがフグにあたって不慮の死を遂げ、その後はもう1人のおじの十四世守田勘彌さんが引き受けてくれましたが、その勘弥さんも2ヵ月後に急死。
歌舞伎の後ろ盾を失う形になり、役がつかなくなってしまっため、実家に戻り父親のもとで一般演劇にも出演していました。
父親は三代目市川猿之助さんに坂東彌十郎さんを託して1981年11月に他界。
市川猿之助一座では立役、敵役、老役と幅広い役柄をこなし、1998年に真山青果賞奨励賞を受賞しました。
テレビドラマに初出演したのは1986年の「暴れん坊将軍Ⅱ」(テレビ朝日)で、1988年にも同シリーズに出演、1999年には「水戸黄門」(TBS)に出演。
時代劇以外のドラマに出演したのは2020年7月の「MIU404」(TBS)が初めてで、ドラマ自体のあまり出演してなく、同ドラマで時代劇を含めて7本目でした。
2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の北条時政 役でブレイク。
当時、66歳でした。
坂東彌十郎の結婚と子供
坂東彌十郎さんは歌舞伎役者になってあまり役がつかない頃に結婚していて、子供は娘と息子の2人。
息子は1990年12月5日に誕生。
1995年7月、4歳の時に初代坂東新悟を名乗り初舞台を踏み、歌舞伎役者をしています。