芦屋雁之助の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 芦屋雁之助 俳優

ドラマ『裸の大将放浪記』で山下清を演じたことで知られる俳優の芦屋雁之助さん
この記事では芦屋雁之助さんの学歴、経歴、生い立ちや、結婚歴、子供などについて紹介しています。

芦屋雁之助の経歴・プロフィール

芦屋雁之助のプロフィール

名前   芦屋雁之助
生年月日 1931年5月29日
没年月日 2004年4月7日(72歳没)
出身   京都府
身長   166cm
血液型  A型
所属   芦屋事務所

芦屋雁之助の小学校

芦屋雁之助さんの出身小学校は 不明

京都府京都市生まれ。本名は西部 清(にしべ きよし)。6人兄弟の4番目。
実家は友禅染めの工場を経営していました。
しかし、芸事が好きだった父親は「若松家」の亭号を名乗り漫才師になり、一座を組んで巡業を始めたといいます。

芦屋雁之助の中学校

芦屋雁之助さんの出身中学校は 京都市立朱雀中学校

京都府京都市中京区壬生中川町にある公立中学校。
中学時代には芸人となった父親について芸をこなし、一時期は漫才師の「五條家弁慶」に弟子入りし、前座で手品をした師匠と漫才や芝居の舞台に立っていました。

中学卒業後は高校に進学していません。

芦屋雁之助の学歴

芦屋雁之助の学歴

小学校  不明
中学校  京都市立朱雀中学校
高校   進学していません

芸人デビュー

18歳の時に弟の秀郎(芦屋小雁)と共に、当時、人気漫才師だった「芦の家雁玉・林田十郎」に弟子入り。
「雁之助」と「小雁」の名前をもらいましたが、亭号「芦の家」を勝手に「芦屋」に変えたため破門。
京都、大阪を中心に漫才師として活躍し、「若手漫才の有望株」と言われましたが、4年ほど経った時に、演劇評論家の武智鉄二さんの勧めで漫才を辞めコントを開始。
その後は兄弟で喜劇役者に転身しました。

喜劇俳優として活躍

1959年、28歳の時に大村崑さんらと『劇団・笑いの王国』に加入。
劇団では看板俳優の1人として活躍し、同年3月から放送開始されたコメディー番組『番頭はんと丁稚どん』(毎日放送)に出演。
強面で下の者には厳しいですが、裏では大阪のおばちゃん口調になる薬屋の番頭を演じ、「わてが雁之助だんねん」などのギャグで人気となりました。

代表作は「裸の大将放浪記」の山下清役

1964年には弟の小雁さんと共に劇団「喜劇座」を旗揚げ。
座付き作家だった藤本義一さんに風貌が「画家の山下清」に似てると指摘し、藤本さんが舞台劇『裸の大将放浪記』を書き上げ公演すると評判になりました。

1969年に劇団解散後は関西から東京に活動拠点を移し喜劇だけでなく、演技派俳優としても活動。
1976年には人気時代劇「必殺シリーズ」の『必殺からくり人』にレギュラー出演。
1979年、森光子さんと共演した舞台『おもろい女』で芸術祭大賞を受賞。

1980年に『裸の大将放浪記』(フジテレビ)で舞台で演じ評判になった山下清役を再び演じ、当たり役となり、1997年まで制作されました。
1984年には2月1日発売したシングル『娘よ』が累計売り上げ150万枚を記録し、、同年末の『第35回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たしました。

結婚歴や妻、子供

芦屋雁之助さんの結婚歴は2度。
最初の妻は大阪のOSミュージックホールのダンサーだった夏丘梨枝さん。
1960年に結婚し、息子が3人誕生しましたが、その後、離婚。
三男は1967年頃に誕生し、三男が物心がついたころには離婚してたいといいます。

再婚した妻は、約20歳年下の梅田コマ劇場のダンサーだった大島久里子(西部久里子)さん。

子供は息子が3人と娘が1人の4人のようです。

『雁之助の三男・塩の屋きくお 芦屋雁三郎に改名』

三男は俳優の芦屋雁三郎さん。
娘は再婚相手との子供で1976年8月30日に誕生。西部里菜の名前で女優、歌手をしていました。
8歳の時、父親のが主演のドラマ『裸の大将』に出演し、1987年から1988年まで、ミュージカル『アニー』で主演のアニー役を演じました。
1997年には歌手に転向し2000年3月までに5枚のシングルを発売しています。

晩年や死因

糖尿病を患い1994年頃からは、病状が悪化し静養しながら、舞台やテレビ出演を続けました。
大食漢で知られ多い時には1日の5食を食事を摂っていたといい、糖尿病はそれが原因で患ったといわれていますが、本人は晩年に、

『山下清の役作りのために体重を落とすわけにもいかなかった』

と話しています。

2004年4月7日、鬱血性心不全のため京都市市内の病院で死去。72歳でした。

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