東京都出身でタレントの麻木久仁子さん。報道番組のキャスターとしても活躍しました。
この記事では麻木久仁子さんの学歴、経歴、生い立ちや、芸能界入りしたきっかけ、結婚歴や夫、子供などについて紹介しています。
Contents
麻木久仁子の経歴・プロフィール
麻木久仁子の小学校
麻木久仁子さんの出身小学校は 町田市立つくし野小学校
東京都大田区生まれ。父親はサラリーマン、弟と妹がいる3人兄弟の長女。
大田区で生まれましたが、物心ついた時には千葉県我孫子市で暮らし、小学生の時に東京都町田市に一軒家を購入し引っ越しました。
小学校は我孫子市の小学校に入学後、3年生の時に東京都町田市つくし野2丁目にある町田市立つくし野小学校に転校。
小学校低学年の頃は大人しい子供でしたが、転校を機に明るくなったといいます。
運動神経はよくなく自転車にも乗れず、補助輪なしで乗れるようになったのは中学2年の時でした。
恥かしかったの大雨の日を選んで、自転車の練習をしたそうです。
麻木久仁子の中学校
麻木久仁子さんの出身中学校は 町田市立つくし野中学校
東京都町田市南つくし野2丁目にある公立中学校。
中学時代はバドミントン部に所属していました。
男子を口ケンカで負かすの好きで、よく憎まれ口をきいたたいていたのはで、あだ名は「ニクコ」。
「社会正義を守る人」として憧れて、将来は弁護士になりたいと思い、中学生の時には法律の入門書を読んでいたといいます。
麻木久仁子の高校
麻木久仁子さんの出身高校は 国分寺高校 (偏差値68)
東京都国分寺市新町3丁目にある男女共学の東京都立高校。
1969年に地元住民の要望で創立された高校で、住宅地の中に立地しています。
出身者にはアカペラグループRAG FAIRの加藤慶之さん、土屋礼央さんなどがいます。
高校時代もバドミントン部に所属していました。
高校に入学後、両親が離婚。子供は3人とも母親に引き取られ、母親は専業主婦でしたが昼夜働き、女で1つで育ててくれたそうです。
麻木久仁子の大学
麻木久仁子さんの出身大学は 学習院大学 法学部(偏差値58)
東京都豊島区目白1丁目に本部がある私立大学で、出身者には俳優の角野卓造さん(経済学部)、小倉久寛さん(法学部)、アナウンサーの神田愛花さん(理学部)などがいます。
大学には奨学金をもらって入りましたが、生活のためにアルバイトに明け暮れ、単位不足で3年に上がれなかっため、奨学金が打ち切られ中退しています。
麻木久仁子の学歴
芸能界デビューのきっかけ
大学時代にモデルのアルバイトをしていたことがきっかけで、大学中退後は本格的に芸能界入りしました。
1983年の「東京ディズニーランド」の開園告知CMが最初の仕事だったといいます。
芸能界入り後
1986年10月にTBSの時代劇『おんな風林火山』で嶺松院 役を演じ女優としてデビュー。
リポーターなども務め、1988年、25歳の時には『オールナイトフジ』(フジテレビ)のMCに大抜擢されましたが、番組中に黙っていたり「コマーシャルです」などのコメントを言い損ねたりしたため1年で降板。
自身を喪失してた時に中京テレビで放送されていた恋愛バラエティ番組『ヴィヴィアン』のアシスタントとしてレギュラーが決定。
クイズ番組の解答者としても活躍し、1990年に入ると、『TVおじゃマンボウ』(日本テレビ)の司会などを努め、1997年10月からは報道番組『ザ・スクープ』(テレビ朝日)の女性メインキャスターを担当しました。
結婚歴や夫、子供
麻木久仁子さんの結婚歴は2度です。
最初の結婚は1994年、31歳の時で、夫は同い年で幼なじみだった作曲家の松本晃彦さん。
中学時代に同じ塾に通っていたそうです。
松本さんはサザンオールスターズ、CHAGE and ASKA、福山雅治さんなどのにアーティストに楽曲を提供し、『踊る大捜査線』シリーズ、アニメ映画『サマーウォーズ』など多くの映画音楽も担当しています。
1994年11月には娘が誕生しましたが、結婚12年目の2006年3月に離婚。
その後、2010年までの間に1歳年上でジャーナリストの山路徹さんと再婚。
山路さんは2003年にタレントの大桃美代子さんを結婚し、2006年に離婚しており、2人とも再婚でした。
2010年に2人が不倫関係だったことを暴露され、2010年11月に離婚してたことも分かりました。