映画にもなった『帝都物語』の作家で、妖怪研究家としての知られる荒俣宏さん。
バラエティ番組『トリビアの泉』に出演していたことでも知られます。
この記事では作家の荒俣宏さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
荒俣宏の学歴
荒俣宏の小学校
荒俣宏さんの出身小学校は 板橋区立板橋第七小学校
1947年7月12日、東京都台東区上野生まれ。妹と弟がいる3人兄弟の長男。妹は藤子不二雄のアシスタントを務めたこともある」漫画家の 志村みどりさん。
3代続く江戸っ子で、父方の祖父は浅草でブリキ缶製造、母方の祖父は大工でした。
父親はカメラ部品の卸業を営んでいましたが、経営に失敗し、幼少期に家族で板橋区に夜逃げしました。
落合幼稚園を卒園後、板橋区立板橋第七小学校に入学。
父親は板橋区でタバコ屋兼瀬戸物販売の店をを始めましたが、経営がうまくいかず、小学6年生の時に、練馬区北町に2度目の夜逃げするなど、生活は裕福ではありませんでした。
小学校低学年の頃はまだテレビのない時代で、自然を相手に遊び、海産生物採取が趣味で、魚の飼育もしていました。
学生時代には小遣いや昼食代を本に回すほど、本や漫画も好きで、小学生の時から貸本屋に通い漫画を借り、自身でも漫画を描き始めて将来は少女漫画家になりたいと思っていました。
子供の頃から身体が大きく、それが理由でいじめられたこともあったといいます。
荒俣宏の中学校・高校
荒俣宏さんの出身中学校・高校は 日本大学第二中学校・日本大学第二高校
東京都杉並区天沼一丁目にある男女共学の私立学校。設置学科は普通科のみです。
現在の中学校の偏差値は60、高校の偏差値は67。
出身者には女優の松坂慶子さん、お笑いコンビ・オードリーの若林正恭さん、春日俊彰さんなどがいます。
1961年、中学2年生の時に読んだ『世界恐怖小説全集』でホラーに開眼し、3年生の時には同作の翻訳を務めた、平井呈一さんにフアンレターを送ったことをきっかけに弟子入り。
『お化けの本は日本ではほとんど読まないので、アメリカ、イギリスなどはお化けの本などがいっぱいあるので、英語の本なら一杯有るので英語を読みなさい』
平井さんに英語の本を何冊か紹介され、英語の勉強を頑張り、高校時代は日本語よりもスラスラ読めるのではないかと思うほどになったといいます。
師弟関係は平井呈一さんが亡くなる、1976年まで続きました。
高校時代は文芸部、園芸部、剣道部に所属。
高校在学中に師匠の平井さんの紹介で、設立されたばかりの同人クラブ『恐怖文学セミナー』に参加し、同人誌『ザ・ホラー』の発行に名を連ねました。
荒俣宏の大学
荒俣宏さんの出身大学は 慶應義塾大学 法学部(偏差値68)
東京都港区三田二丁目に本部がある私立大学。
1966年4月に入学しました。
大学在学中に高校の同級生だった翻訳家の野村芳夫さんと怪奇幻想文学についての同人誌『リトル・ウィアード』を発刊。
大学時代は本を買うために、アルバイトをしていて、漫画家の道も諦めず漫画業界でアルバイトをしていましたが入ってくる仕事は翻訳の仕事ばかりだったといいます。
1970年に大学卒業後は日魯漁業(現在のマルハニチロ)に入社。
経理、営業を担当した後、コンピューターが導入されるようんになると、エンジニアを務めました。
大学時代から翻訳でコンピューターを使っていたため知識があったといいます。
10年勤務した後に退職しました。
荒俣宏の経歴・帝都物語で日本SF大賞を受賞
会社に勤務しながら翻訳業も続け、入社した1970年に初の翻訳書となる『征服王コナン』を発刊。
『幻想と怪奇』の編集や世界幻想文学大系』の監修にも携わり、1977年には初の著書『別世界通信』が出版されました。
日魯漁業を退社後は、『世界大百科事典』の改訂版の編集に参加。
同時期に書いた長編小説『帝都物語』が1985年に出版されると、1987年に第8回日本SF大賞を受賞。
翌年の1988年には映画化され配給収入は10億円を超えました。一躍人気作家となり、帝都物語はシリーズ化されました。
会社員時代から名品・珍品収集が好きで、資金捻出のために食事は1日インスタントラーメン1食で、会社で着るスーツも10年間同じもの1着で通しました。
博物学研究家でもあり、『世界大博物図鑑』の資料として博物学の古書を購入し、1億4000万円の借金を背負いましたが、帝都物語で得た印税で返済しました。
小説だけでなく、多くの博物学書も出版しています。
1990年代に入るとテレビにも出演するようになり、2002年からはフジテレビの『トリビアの泉』にコメンテーターとして出演し、知られるようになりました。
荒俣宏の結婚や妻、子供
荒俣宏さんは2度の結婚歴があります。
最初の結婚は1988年2月、40歳の時でした。
妻は11歳年下で漫画家の杉浦日向子さん。
杉浦日向子さんは、22歳の時、雑誌『ガロ』で吉原を題材にした『通言・室之梅』(つうげん・むろのうめ)で漫画家としてデビューし、時代考証が確かな作品で、文芸漫画と呼ばれました。
路上を観察し、特定のものに価値を見出す路上観察学会で出会い結婚しましたが、荒俣さんの浮気が原因で半年で夫婦生活は破綻し、1年で離婚しました。
杉浦日向子さんは2005年7月に下咽頭癌のために、46歳で亡くなっています。
再婚したのは1994年8月、47歳の時でした。
妻は元JALの客室乗務員の泰子さん
泰子さんは美的感覚が変わっていて、子供の頃からイボガエルを「かわいい」と思っていたといい、泰子さんが荒俣さんを見て一目惚れしたそうです。
それまで泰子さんは、高学歴で顔も良いエリートの乗客に電話番号を渡されても「好みじゃない」と破り捨てていたといいます。
2度の結婚とも子供はいないようです。