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青島幸男の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 青島幸男

放送作家としてデビューし、タレント、作詞家としても活躍、俳優として『意地悪ばあさん』の主演も務めた青島幸男さん。

政治家として参議院議員、東京都知事に当選し活動しました。

この記事では青島幸男さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

青島幸男の学歴

青島幸男の学歴

小学校  東華小学校
中学校  旧制第二十一中学校
高校   早稲田大学高等学院
大学   早稲田大学 

青島幸男の小学校

青島幸男さんの出身小学校は 東華小学校

東京府東京市日本橋区(現・東京都中央区)出身。

東華小学校は、現在の中央区立日本橋小学校。

実家は日本橋にあった仕出し弁当屋の『弁菊』、家庭は裕福で、近所の駄菓子屋ではツケで買い物をしていました。

幼少期は体が弱く、家で療養していことが多かったそうで、小学3年生の頃から読書が大好きだったそうです。

12歳の時には中野区鷺宮に疎開しました。

青島幸男の中学校

青島幸男さんの出身中学校は 旧制第二十一中学校

旧制第二十一中学校は、現在の武蔵丘高校。

東京都中野区上鷺宮にある男女共学の都立高校で、現在の偏差値は56。

出身者には歌手の浜田麻里さん、声優の坂本真綾さんなどがいます。

人気ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズの音楽を手がけたことでも知られる、作曲家のすぎやまこういちさんは中学の同級生でした。

青島幸男の高校

青島幸男さんの出身高校は 旧制早稲田大学高等学院(偏差値75)

東京都練馬区上石神井にある私立高校。

出身者には俳優の森繁久彌さん、津川雅彦(中退)さんなどがいます。

中学在学中に学制改革があり、旧制第二十一中学校に入学した数ヶ月後に同高校に転校しました。

同高校は1949年に、学校教育法に基づく新制高等学校としての、早稲田大学附属早稲田高等学院が発足、1950年に現在の早稲田大学高等学院に改称されました。

青島幸男の大学

青島幸男さんの出身大学は 早稲田大学第一商学部(偏差値68)

1951年に早稲田大学に入学。

大学の卒業目前に結核を患ってしまい就職は断念、1955年4月から早稲田大学大学院商学研究科商学専攻修士課程に進学して自宅で療養。

療養中には銀座でバー『カランタス』を経営。

子供の頃から落語が好きだったことから、寝ながら出来る仕事として漫才の台本を投稿。

その台本ががNHKのコンクールで採用され、放送作家として活動を開始、1956年6月に大学院は中退しました。

青島幸男の経歴

青島幸男のプロフィール

名前   青島幸男
生年月日 1932年7月17日
没年月日 2006年12月20日(74歳没)
出身   東京府東京市日本橋区(現・東京都中央区)
血液型  AB型

結核から回復後に、中学の同級生だったすぎやまこういちさんに、渡辺プロダクション社長の渡辺晋さんを紹介され、1959年3月にフジテレビ開局と同時に始まった、渡辺プロダクション制作の『おとなの漫画』の構成を担当。

自身も番組に出演し、番組の裏方なのにエラそうにしている青島幸男さんが、それをとがめられると言い放つ『青島だァ』のギャグが流行し、一躍タレントとしてブレイク。

以降はタレント、俳優、作詞家、映画監督としても活躍。

1957年頃に結婚し、1959年に長女の美幸さん、1961年に長男の利幸さんが誕生。

娘の美幸さんは作家、息子の利幸さんは放送作家として活躍しました。

1966年に製作、脚本、監督、主演を務めた映画『鐘』は、カンヌ国際映画祭の国際批評家週間入選を果たしています。

作詞家としてはクレージーキャッツや、植木等さん、坂本九さんなどの曲を作詞し、植木等さんの『ドント節』の「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」の歌詞は有名です。

1967年に『意地悪ばあさん』(読売テレビ)で男性ながら主人公・意地悪ばあさん(波多野たつ)役で主演を務め、1981年にフジテレビで製作され時にも主演に起用され、人気を集めました。

1968年、第8回参議院議員通常選挙に全国区から立候補しで初当選、

同年からワイドショー番組『お昼のワイドショー』(日本テレビ)の司会を担当し、1979年まで務め、タレント議員のはしりとなっています。

5回当選した後、1995年に参議院議員を辞職、同年4月に東京都知事選挙に無所属で出馬し当選。

当選後は公約にしていた『世界都市博』を中止。

1995年5月に青島幸男さん宛に届いた小包が爆発し、小包を扱った職員が左手の全ての指と右手親指を失う重傷を負う事件が発生。

この事件はオウム真理教による犯行と断定されました。

都知事を務めたの1期だけで、1999年の2期目は立候補しませんでした。

青島幸男の晩年と死因

2001年に第19回参議院議員通常選挙に比例区から出馬しました落選、その後も2004年の第20回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から出馬するも次点で落選。

この落選を最後に事実上政界を引退しました。

2006年12月20日に骨髄異形成症候群のため、都内の病院で死去、74歳でした。

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