「なるほど! ザ・ワールド」や「出没! アド街ック天国」の司会で知られ、2014年には「情報テレビ番組の最高齢の現役司会者」としてギネスブックに認定された愛川欽也さん。
子供の頃から成績は優秀だったようです。
今回は「キンキン」の愛称で親しまれた司会者の愛川欽也さの学歴、経歴、生い立ちについて紹介します。
愛川欽也の学歴
愛川欽也の小学校
愛川欽也さんの出身小学校は 豊島区立仰高小学校
東京都豊島区巣鴨出身、本名は井川 敏明(いかわ としあき)
父親は印刷会社を経営、10歳以上年の離れたが姉がいる長男。
小学生の時から喫茶店に通い、ツケでコーヒーを飲んでいたといます。
小学4年生の時に長野県上田市にの寺に学童疎開、疎開中は上田市立北小学校に通っていました。
疎開中は食べ物もあまりなく辛い生活で、唯一の楽しみは母親が砂糖を手に入れて送ってくれたカリントウだったと話しています。
その後は茨城、秋田、埼玉に縁故疎開し、疎開先で11歳の時に疎開先で終戦を迎えました。
愛川欽也の中学校
愛川欽也さんの出身中学校は私立中学校
自宅は空襲で焼け、中学の時には豊島区巣鴨から埼玉県に移り、中学は私立中学に入学したとの情報がありましたが、学校名は不明。 中学時代は成績優秀でした。
中学3年生の時に父親が他界しています。
愛川欽也の高校
愛川欽也さんの出身高校は浦和高校(偏差値74)
埼玉県さいたま市浦和区領家にある県立の男子校。
出身者にはミュージシャンのタケカワユキヒデさん、宇宙飛行士の若田光一さん、アナウンサーの堀尾正明さんなどがいます。
母親は昼は食堂で、夜や夜間家政婦として働いていたといい、母親を楽にしたいと思い、目標は東京大学法学部に入りに弁護士になることでした。
しかし、高校1年生の時に通学路に「北浦和映画劇場」が開館、面白そうだと思い入ってみたところフランス映画にすっかりハマり、「北浦和映画劇場」に入り浸るようになり、自分も芝居をやりたいと思い、「俳優座養成所」受けてみると合格。
高校2年生から入所、養成所はほとんど学校と一緒で朝から夕方まで授業あったことから、高校は中退したため大学には進学していません。
愛川欽也の経歴・生い立ち
浦和高校を中退後、俳優座養成所に3期生として入所。
俳優座養成所卒業と同時にホームドラマでドラマデビュー。
この時役名が愛川欽也で、不良少年でしたが最終的には更生して真面目に生きていく役で、この少年の役が好きで、ピントくるものがあったことから、役名をそのまま芸名にしました。
最初の妻とは1957年頃に結婚し、1958年に長男、1960年に長女が誕生。
長男は俳優の井川晃一さんで、「西村京太郎トラベルミステリー」では刑事役で出演して、愛川欽也さんと共演していました。
前妻とは1978年に離婚。
1975年には銀河テレビ小説「雨やどり」(NHK)でドラマ初主演。
同年から公開された菅原文太さん主演「トラック野郎シリーズ」ではメインキャストのやもめのジョナサン(松下金造) 役で出演し、映画は空前の大ヒット。
41歳の時でした。
1976年には自ら企画した「キンキンのルンペン大将」で映画初主演。を果たしました。
司会者として活躍、ギネスに認定
1971年に深夜ラジオ番組「パックインミュージック」(TBS)でパーソナリティを務め、若者を中心に人気を獲得し「キンキン」の愛称も定着。
1974年から大橋巨泉さんとともに深夜番組「11PM」の司会を1986年まで務め、1981年から放送開始した「なるほど!ザ・ワールド」(フジテレビの司会に抜擢されたことで司会者として大ブレイクし、司会者としての人気を確固たるもにしました。
1972年10月に「きんきんケロンパ歌謡曲」(テレビ東京)のMCを2人で務めたことから、うつみ宮土理さんとと出会い、1978年に前妻と離婚した翌日に再婚。
うつみ宮土理さんとの間には子供はいませんでした。
1995年に「出没!アド街ック天国」(テレビ東京)の初代司会者となり、同番組の司会で2014年9月には「80歳70日」の記録が「高齢の現役司会者」としてギネスに認定されました。
2015年3月に入ると「出没!アド街ック天国」司会を放送1000回目を以って急遽降板。
2015年4月14日に、肺がんのため東京都内の自宅で80歳で死去しました。