20代の頃はパリなどでコレクションモデルとして活動し、抜群のトーク力でバラエティ番組、通販番組で活躍するアンミカさん
この記事ではアンミカさんの学歴、経歴、生い立ちや、モデルになったきっかけ、夫、子供などについて紹介しています。
Contents
アンミカの経歴・プロフィール
アンミカの小学校 差別でいじめ
アンミカさんの出身小学校は 大阪市立高松小学校
韓国・済州島で生まれ。両親は韓国人で3歳の時に家族で来日。大阪府大阪市の下町で育ちました。
兄、姉、弟、妹がいる5人兄弟の次女。生活は裕福ではなく、父親が働いていた雪駄工場の倉庫だった長屋の2階の4畳半に7人で暮らし、母親はラーメン屋を経営していました。
自宅に風呂はなく、よく友達の家でお風呂を使わせてもらっていたといいます。
小学校は大阪市阿倍野区天王寺町北3丁目にある大阪市立高松小学校に入学。
小学校の道徳の時間に韓国のことを習うと、「お母さんがダメだって言うから」と友達が遊んでくれなくなり、当時は差別だとわからず泣いて帰ったといいます。
すると母親は「お友達を呼んで、美味しい韓国料理をごちそうしましょう」と提案。
友達を誘って食事会をすると友達は大喜びで、母親は「これからもミカちゃんをよろしくね」と、終始笑顔で友達と接してくれたそうです。
その後も一部の人はしつこくいじめてきましたが、自分を守るために戦い、強くなったといいます。
アンミカの中学校 モデルのきっかけは母親の言葉
アンミカさんの出身中学校は 大阪市立文の里中学校
大阪市阿倍野区美章園1丁目にある公立中学校。
同中学校の出身者にはジャズシンガーの綾戸智恵さん、お笑いタレントのヤナギブソンさんなどがいます。
中学校は自宅から少し遠いところで、何校かの小学校から生徒が入ってきたこともあり、小学校からの親友もいたことで充実していたといいます。
中学時代は陸上部に所属。新聞配達のアルバイトも始め、朝4時頃に起きて新聞配達をこなし家事を手伝って登校。帰宅後は弟妹の面倒をみて、翌朝に備えて夜は21時には寝るという生活を送っていました。
小学校高学年の時の母親のがんが発覚し、闘病を続けましたが15歳の時に亡くなっています。
小学生の時に鏡を見ることが好きだったアンミカさんは母親に「モデルさんになったらいいかも」と言われその気にになり、中学時代には「なんとしてもお母さんが生きている間にモデルになろう」と思いたったといいます。
中学3年生のと時には大きなモデル事務所に書類を送りましたが、5回送って5回とも返されたそうです。
母親の病状がよくなく焦ったアンミカさんは事務所に電話をして「私、写真写りが悪いので」と話し、事務所にいきましたがそれでも落とされたといいます。
社長に社交辞令で「大きくなったら遊びにおいでね」と言われると毎週のように通い、事務所でレッスンの欠員が出た際に、「これも縁だから」とレッスンを受けさせてもらえるようになったそうです。
アンミカの高校 卒業後は渡仏するもすぐ帰国
アンミカさんの出身高校は 住吉高校 (偏差値65)
大阪府大阪市阿倍野区北畠2丁目にある男女共学の大阪府立高校。
1922年に旧制中学校として開校し、2022年には100周年を迎えました。
出身者には漫才師のトミーズ雅さん、トミーズ健さんなどがいます。
高校時代も陸上部に所属。種目は800mでした。
モデルとしても活動していたようですが「泣かず飛ばず」だったと話しています。
パン屋でアルバイトもしていました。
『8月が母の命日だし、それまでには家に戻りたい。半年でモデルとして一流と言われるにはどうしたらいいか。そうや、パリコレや!と思ったんです。』
高校は進学校だったため、父親には大学に行くものと思われていましたが、反対を押し切って高校卒業後はトップモデルを目指して渡仏。
現地でいくつかのオーデションを受けましたが、全て落ちて帰国しました。
アンミカの学歴
パリコレに参加したきっかけ
フランスから帰国後はアルバイトをしていましたが、マネージャーが服装学院の京都でのファッションショーに呼んでくれ、そこで有名なカメラマンのロバート・ショーナーさんに声をかけられました。
撮影に誘われ竹やぶで撮影し、その写真がイギリスのファッション誌「i-D」に掲載。
それがきっかけで海外から仕事がくるようになり、竹やぶで撮った写真はヨーロッパで賞を取ったそうです。
仕事をしていたデザイナーがパリコレに出ることになり、1993年、20歳の時にパリコレに初参加しました。
その後は日本、韓国を中心にファッションショー、広告、CMなどに出演しました。
関西弁がきっかけでブレイク
当初は標準語で活動していましたがピーターさんの誕生日会に出席した際に、滞在できる時間が限られていたため「足跡を残していかな!」と思い立ち、関西弁でマシンガントークをしたころ、同じテーブルだったマツコ・デラックスさんとミッツ・マングローブさんらから「大阪弁の方が面白い!」と褒められっといいます。
関西弁を隠さなくなり、その後、マツコさんがMCを努める『アウト×デラックス』で関西弁を解禁。
するとそのトーク力からブレイクし、バラエティ番組や通販番組で活躍しています。
夫や子供
アンミカさんは2012年7月、40歳の時に同い年のアメリカ人実業家・セオドール・ミラーさん、
ミラーさんはCM・イベントなどの制作会社を経営していて、日本語は堪能、
クライアントとして出会い、初めて会ったのはゴルフ場だったといいます。
約2年の交際期間を経て結婚。
子供を望み、42歳から不妊治療を始め、妊娠はしましたが流産を繰り返し、46歳の時に不妊治療から卒後したそうです。