元バレリーナでミュージカルに出演したことがきっかけで、断腸の思いでバレエを辞めて女優に転向した床嶋佳子さん。
この記事では床嶋佳子さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
床嶋佳子の学歴
床嶋佳子の小学校
さんの出身小学校は 福岡市立香住丘小学校
1964年、福岡県福岡市生まれ。父親の職業は公務員、母親は60歳でフィギュアスケートを始めるなど好奇心旺盛な人、兄弟は兄がいます。
6歳からクラシックバレエを習い始め、レッスンにはひとりで電車とバスを乗り継いで1時間かかりました。
父親はバレエの費用を捻出するため、大好きだったゴルフを辞め、母親はレッスンが終わると毎回駅まで迎えにきてくれたといいいます。
10歳の時にはソ連(現・ロシア)にバレエ留学を経験。
当時は冷戦の時代で食べ物も少なく、日本との生活の違いに驚いたといいます。
床嶋佳子の中学校
床嶋佳子さんの出身中学校は 福岡市立香椎第二中学校
中学時代もバレエ一筋で、13歳の時にはブルガリアで開催された、国際的なバレエコンクールの中では最も歴史が古い、ヴァルナ国際バレエコンクール・ジュニアの部に出場しました。
床嶋佳子の高校
床嶋佳子さんの出身高校は 精華女子高校 (偏差値47)
福岡県福岡市博多区住吉四丁目にある私立の女子校。設置学科は普通科、看護科。
1909年(明治42年)に創立され福岡高等裁縫研究所を起源とする伝統校です。
吹奏楽部、バスケットボール部の強豪校で、出身者に何人もバスケットボール選手がいます。
高校時代には同性のモテたといい、体育祭で学ランを来て応援団長をすると、翌日にはファンレターをもらったり、告白もされ、廊下を歩くと生徒が何人もついてきたといます。
初めて交際したのは高校1年の15歳の時で、年齢は12歳年上だったと話しています。
高校卒業後は大学などには進学せずに、バレエに専念しました。
床嶋佳子の経歴
高校卒業後、1983年に19歳で東京にある松山バレエ団に入団。
翌年の1984年に小川亜矢子バレエスタジオに移籍し、1986年には第4回全日本バレエ・コンクールでシニア部門第1位になり、文部大臣賞を獲得。
1988年、23歳の時に日・米・露合作ミュージカル『12ヶ月のニーナ』で主役に抜擢されたことがきかっけで女優に転向。
バレエを辞めたのは、日本ではバレエのプロとして食べていくの難しいと思っていた時に、ミュージカルの話しをもらい、その後バレエは続けましたが、1991年、27歳の時に断腸の思いでバレエをやめ、女優に転向することを決意したといいます。
ミュージカル、舞台で活躍した後、1991年のフジテレビ系ドラマ『ヴァンサンカン・結婚』で本格的に女優デビュー。
同年にはP&GのCMキャラクターも務めました。
映画では2000年公開の『博多ムービー・ちんちろまい』で初出演。武田鉄矢さん演じる主人公の県庁職員の妻・睦子役を演じました。
以降は映画に出演は少なく、ドラマを中心に活躍。
2時間サスペンスドラマに多く出演し、2003年には『検事・霞夕子』シリーズなどで主演を務め、2005年12月から放送されたTBSの昼ドラ『ママはバレリーナ』でも主演を務めました。
床嶋佳子の結婚歴や夫、子供
床嶋佳子さんの結婚歴や1度です。
結婚したのは2020年9月、55歳の時でした。
夫は年上で医師の男性。
通っていたジムでの2020年1月に出会い、交際期間8ヶ月で結婚。夫は8年前に妻を病気で亡くしていて再婚でした。
馴れ初めは同じジムの人たちで、床嶋さんが『アウト×デラックス(フジテレビ)に出演し「寂しい! 誰かに抱きしめてほしい」と本音を話したことで、床嶋と夫を心配してくれるグループがあり、2人を引き合わせてくれたそうです。
プールサイドで夫を見た床嶋さんは一目惚れしたといいます。
食事会では社交的な印象を持ち、妻を亡くしたことも聞き、1週間後の2度目のデートで「あなたと結婚したい」とプロポーズを受け、その時は驚いて明確に返事はできませんでしたが、その後、交際がスタートしました。
床嶋さんに子供はいません。
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