モデル出身で、子供の頃は貧乏だったことで知られる俳優の風間トオルさん。
小学生の時から祖父を介護していたといいます。
この記事では風間トオルさんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
風間トオルの学歴
風間トオルの小学校
風間トオルさんの出身小学校は 川崎市立西丸子小学校
神奈川県川崎市生まれ。兄弟はなく一人っ子。
5歳の時に両親は」離婚。父親に引き取られましたが、1週間後に父親も風間さんを置いて家を出て行き、以降は祖父母に育てられました。
祖父は大工でしたがすでに引退していて、収入は祖父母の年金だけで生活は貧乏でした。
住んでいたのは隙間風が入ってくるような風呂なしのアパートで、洗濯機がお風呂代わりだったといいます。
毎日空腹で、カマキリやバッタの昆虫や朝顔を食べて空腹を満たしたこともあったことを明かしています。
小学校の入学手続きを祖父母が忘れてしまい、小学校には1年遅れで入学。その後は高校3年まで1年遅れで通学しました。
小学校入学後に祖父が認知症を発症。風間さんが介護を始め、徘徊するようになると全裸で歩くこともあり、学校帰りに友達と徘徊している祖父を見かけても自分の祖父とは言えずに、一回家に帰ってから探しに行っていたといい、家に連れて帰るのも嫌がって大変だったといいます。
祖父は中学に上がる直前に眠るように亡くなったそうです。
風間トオルの中学校
風間トオルさんの出身中学校は 川崎市立中原中学校
中学時代にはサーフィンを始めました。
当時からモテていて、バレンタインデーにはチョコレートを毎年20~30個貰い、それを365日分に分割して冷蔵庫に保管し毎日食べていたといいます。
お金がなかったため、ホワイトデーのお返しには拾った松ぼっくりにをクリスマスのオーナメントのように白いペンキで塗って渡したそうです。
風間トオルの高校
風間トオルさんの出身高校は 川崎北高校 (偏差値48)
神奈川県川崎市宮前区有馬3丁目にある」男女共学の県立高校。
出身者には俳優の沖田浩之さん、女子野球投手の吉田えりさんなどがいます。
高校時代も1年遅れだったため1歳年齢をサバ読み、学校ではバレーボール部に所属していました。
高校入学後には家を出て1人暮らしを始め、アルバイトをして生活費を稼いでいましたが、冷蔵庫はなかったので、冷蔵庫に入れる必要のあるものは魚屋に貰った発砲スチロールに入れて、土の中に埋めて保管していたそうです。
高校卒業後は専門学校に進学しました。
風間トオルの専門学校
風間トオルさんの出身専門学校は 東京デザイン専門学校
東京都渋谷区にある私立の専門学校で、グラフィックデザイン、ファッションアクセサリー、アニメーションなどを学べる学校です。
出身者には女優の中越典子さんなどがいます。
専門学校在学中、カフェバーの厨房でアルバイトをしていた19歳の時に、店で雑誌の撮影があり撮影用のカクテルを準備していると、編集者にモデルとしてスカウト。
怪しい気もしましたが、交通費、昼食も出ると聞きモデルの仕事を始めました。
風間トオルの経歴
モデルデビュー後、『メンズノンノ』のモデルに選出され、阿部寛さんと共に活躍。
モデルとして人気を博し、雑誌で風間さんを見た浅野ゆう子さんが、
『動いてる風間トオルを見てみたい』
と俳優にスカウトしたといいます。
最初は断りましたが、粘り強く説得され、1年後に承諾し、1989年4月から放送された『ハートに火をつけて!』(フジテレビ)でドラマデビュー。
26歳の時でした。
出演した時には風間さんのあまりの演技の下手さに現場は騒然となったそうでが、その後も仕事は順調で、同年に『どっちにするの。』で映画でデビュー。
年末には『東京Xマス・ラブウォーズ』(TBS)でドラマ初主演。
1993年公開の『わが愛の譜 滝廉太郎物語』で映画初主演し、
第17回日本アカデミー賞・優秀主演男優賞
を受賞。
1994年10月から放送された『ママのベッドへいらっしゃい』(テレビ朝日)で連続ドラマ初主演を果たしました。
風間トオルの結婚歴
風間トオオルさんの結婚歴は1度。
1997年8月、35歳の時に結婚しています。
結婚相手はスポーツインストラクターの女性だといわれています。
しかし、11ヶ月後の1998年7月に離婚。
子供はいませんでした。
「娘」や「娘 事故」で検索されていますが、娘がいるという情報はないようです。
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