1988年ソウルオリンピック・シンクロナイズドスイミング(アーティスティックスイミング)銅メダリストの小谷実可子さん。
2023年には30年ぶりに復帰しました。
この記事では小谷実可子さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
小谷実可子の学歴
小谷実可子の小学校
小谷実可子さんの出身小学校は 渋谷区立神宮前小学校
東京都生まれ。母親は元モデル、姉がいます。
4歳の頃に姉が通っていた水泳教室に、自分の意思で所属。
小学4年生の時に、水泳教室のコーチに声をかけられてシンクロを始め、3ヵ月後に全国大会(10歳以下の部)で優勝。
1978年、小学6年生の時には日本代表に選出され、「カナダ年齢別選手権大会」でソロ、デュエット共に3位に入賞しました。
小学校の卒業文集には「コマネチのように人々の心に残りたい」と書き、当時からオリンピックを夢見ていました。
小谷実可子の中学校
小谷実可子さんの出身中学校は 桐朋学園女子中学校 (偏差値50)
桐朋学園は、東京都調布市若葉町一丁目にある私立の女子校。
学科は普通科と音楽科があります。
出身者には元うたのおねえさんのはいだしょうこさん、ヴァイオリニストの高嶋ちさ子さんなどがいます。
小学生のまでは器械体操も習っていましたが、中学時代はシンクロ1本に絞りました。
小谷実可子の高校
小谷実可子さんの出身高校は 桐朋学園女子高校 (偏差値65)
高校は系列の桐朋学園女子高校に内部進学。
高校入学後、1982年にアメリカのノースゲート・ハイスクールにシンクロ留学し、アメリカのアメリカのナショナルチームを指導したゲイル・エメリーコーチに師事。
アメリカの日本と違う、ほめて伸ばす指導法に驚き、「イエス、ノー」をはっきり伝えることが大事だと学んだといいます。
褒められながらアメリカで学び上達しましたが、帰国後は基本に忠実な日本との、審判の採点基準の違いで点数は伸びず、
『日本よりレベルの高いアメリカでは評価されたのだから、審判が変わるべきだ。』
と思い自らの首を絞め挫折。
その後、基本練習に取り組み順位は上がっていきました。
小谷実可子の大学
小谷実可子さんの出身大学は 日本大学 文理学部(偏差値52)
1985年、大学1年生の時にパンパシフィック水泳選手権でソロでは2位、デュエットでは優勝。
この年から全日本水泳選手権で4連覇を達成しました。
1988年、大学4年生の時にはソウルオリンピック代表に選出され、開会式で日本選手団の旗手を務め、競技ではソロ、デュエット(田中京さんとのコンビ)で共に銅メダルを獲得。
1989年に大学を卒業しました。
小谷実可子の経歴
1990年、ローマシンクロ大会、マジョルカ・オープン大会でソロ優勝。
1991年パース世界選手権はソロで銅メダル、高山亜樹さんとのデュエットではカナダのペアを破り、銀メダルを獲得しました。
その後は休養を宣言し、1998年長野オリンピックの招致活動などを行い、1992年1992年バルセロナオリンピック前に現役復帰。
それまでの実績が評価され、日本代表に選出。
シンクロのオリンピック代表としては2大会連続で選出されるのは、日本人として初めてでした。
バルセロナオリンピックでは、試合の直前まで奥野史子さんらと出場を競い、ソロは奥野さんが出場。
デュエットは高山亜樹さんとのペアで出場予定でしたが、最終的には奥野さんが出場することになり、小谷さんの出番はありませんでした。
オリンピック終了後に引退を表明。
引退後は、スポーツコメンテーター、日本オリンピック委員会広報員、長野オリンピック広報員、国際オリンピック委員などを歴任。
2023年8月、30年ぶりに復帰し、世界マスターズ水泳選手権2023に挑戦。
アーティスティックスイミングにチーム、ソロ、デュエットの3部門で出場。銀メダリストの藤丸真世さんと共にペアを組み、3枚の金メダルを獲得しました。
小谷実可子の夫と子供
小谷実可子さんは199年7月、32歳の時に結婚。
夫は明海大学・教授の杉浦雄策さん。
元陸上短距離選手で、専門分野はスポーツ科学。
知人の紹介で出会い、小谷さんは杉浦さんと初めてあった時から、結婚する予感があったといいます。
子供は娘が2人。長女が2001年、次女が2006年に誕生しています。
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