森崎ウィンの学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 森崎ウィン 俳優

ミャンマー出身で、スティーヴン・スピルバーグ監督のハリウッド映画にも出演した経験がある森崎ウィンさん。

2023年には大河ドラマ『どうする家康』に出演しました。

この記事では森崎ウィンさんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

森崎ウィンの学歴

森崎ウィンの学歴

小学校  不明
中学校  不明
高校   第一商業高校
大学   進学していません

森崎ウィンの小学校・中学校

森崎ウィンさんの出身小学校、中学校は 不明

ミャンマー連邦共和国・ヤンゴン出身。両親はミャンマー人。
本名はウィン チョウ トゥー(Win Kyaw Htoo)。
『ウィン』はミャンマー語で『明るい』という意味だといいます。

父親は世界巡る船の整備士、母親に日本で事務の東京で事務の仕事をしていて、ミャンマーで森崎ウィンさんを出産後、日本に戻り、森崎さんはミャンマーで祖母を暮らしました。

両親が日本や海外で働き、士仕送りいてくれたおかげでミャンマーで比較的豊かな暮らしが出来たといいます。

祖母は若い頃にアメリカや日本で暮らしていた経験があり、当時はミャンマーでは珍しかった英語教室を自宅で開いていて地元では有名で、多くの大人が通っていてみんなから慕われており、森崎さんは先生の孫として、生徒にかわいがられて育ったといいます。

10歳の時に母親が弟を妊娠し一時帰国。

母親に『日本で一緒にくらそう』と言われましたが、当初は親しい人たちと別れて知らない国に行くのが嫌で『イヤだ。おばあちゃんと一緒にいたい』と言ったそうです。

日本語を全くわからない状態で来日、都内で生活し小学校ではいじめられたこともありましたが、日本語がしゃべれるとうになり徐々に友達もできたといいます。

中学時代はサッカー部に所属していました。

中学2年生の時、サッカーの試合の帰りに恵比寿のスーパー「ピーコックストア」の前で、ふたりの女性に『芸能界に興味はありますか』と名刺を渡されてスカウトされ、スターダストプロモーションに所属。

名刺の裏には所属タレントの名前が書いてありましたが、芸能界にはうとくよくわからなかったといいます。

本名のカタカナの名前では日本語が喋れないのではないかと思われる可能性があり、芝居の仕事に影響が出るとの判断から芸名に『森崎』というも名字を事務所がつけました。

森崎ウィンの高校

森崎ウィンさんの出身高校は 第一商業高校(偏差値45)

東京都渋谷区鉢山町にある男女共学の都立高校。
出身者には直木賞作家の三好徹さん、タレントの白石まるみさんなどがいます。

2007年、高校2年生の時に事務所内の新人俳優若手演劇集団DAKARA☆S!!に加入し、雑誌のモデルやイベントなどで活動。

翌年の2008年には男性ダンス&ボーカルユニットPRIZMAX(プリズマックス)に加入、2013年にシングルをリリースしデビュー、2014年9月の4枚目のシングル『REBORN』はオリコンチャート7位、2016年4月の7枚目のシングル『UP<UPBEAT 』は4位にランクイン。
2020年に解散いました。

2008年6月、17歳の時に『東京少女 桜庭ななみ 第1話「恋より大切なこと」』(BS-i)でドラマデビューしました。

森崎ウィンの経歴

森崎ウィンのプロフィール

名前   森崎ウィン
生年月日 1990年8月20日
出身   ミャンマー・ヤンゴン
身長   174cm
血液型  O型
所属   スターダストプロモーション

2009年3月に放送れが『ごくせん卒業スペシャル』(日本テレビ)に五十嵐真 役で出演し、同年7月公開の映画『ごくせん THE MOVIE』で映画デビュー。

2014年8月公開の映画『シェリー』で映画初主演。

2016年6月、スティーヴン・スピルバーグ監督の新作『レディ・プレイヤー1』に主要キャストに抜擢されハリウッド映画デビュー。

同映画のオーディションでは、1次審査の時点ではまだ監督や作品名が知らされていなかったといい、1次合格後にアメリカに行き、オーディション会場にスティーブン・スピルバーグ監督いてそこで初めて知ったといいます。
オーディションは当然英語でした。
映画は2018年3月に公開。

同年8月にミャンマー観光大使に任命され、同年からFUJIFILM、日清、SUNTORY、SUZUKI「SWIFT」などの多くのミャンマーのCMに出演しています。

2019年10月から放送された『本気のしるし』(メ~テレ)でドラマ初主演を果たしました。

同月公開の映画『蜜蜂と遠雷』で、

第43回日本アカデミー賞・新人俳優賞

を受賞しました。

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