「必殺仕事人」などの時代劇で知られ、バラエティ番組でも活躍する俳優の京本政樹さん。
この記事では京本政樹さんの学歴、経歴、生い立ちやデビューのきっかけなどについて紹介しています。
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京本政樹の経歴・プロフィール
京本政樹の小学校
京本政樹さんの出身小学校は 茨木市立茨木小学校
大阪府吹田市生まれ。小学生から中学2年生までは大阪府茨木市に暮らし、中学2年生から高校卒業までは大阪府高槻市で過ごしました。
父親はスーパーマーケットの鮮魚店に勤務、姉が1人、弟が2人いる4人兄弟の長男。
茨木市では駅から徒歩20分くらいのところの二軒長屋で祖母や親戚と8人で暮らし、父親の鮮魚売り場でで出たタイやたらのあら炊きをよく食べていたといいます。
小学校は大阪府茨木市片桐町にある茨木市立茨木小学校を卒業。
父親が柔道をやっていたことから勧められて小学2年生から柔道を始め、小学6年生の時に森田健作さん主演の『おれは男だ!』が始まった影響で剣道がやりたくなり剣道も始め、柔道、剣道共に段を取ったといいます。
剣道を始める時には防具などが必要だったため、父親に「竹刀のひとつも買ってみろ!」と言われ新聞配達をしたそうです。
京本政樹の中学校
京本政樹さんの出身中学校は 高槻市立柳川中学校
中学校は大阪府茨木市末広町の茨木市立東中学校に入学。
同中学校の卒業生にギタリストの押尾コータローさん、俳優の本上まなみさんなどがいます。
中学2年生の時に大阪府高槻市に引っ越し、高槻市川添一丁目にある高槻市立柳川中学校に転校しました。
中学校の卒業生にはシンガーソングライターの槇原敬之さんがいます。
学校に剣道がなかったので3年生の時に自ら創設。生徒会長も務め、バンド活動もしていました。
中学時代はモテで多くのラブレターをもらったといい、中学2年生の時に社会科見学の時い撮った写真を知り合いが送ったことで、ジャニー喜多川さんから電話がありスカウトされたといいます。
しかし、当時はバンド活動にハマっていたこともあり断りました。
京本政樹の高校
京本政樹さんの出身高校は 高槻南高校 (偏差値50)
大阪府高槻市芝生町三丁目にあった男女共学の大阪府立高校。
1973年に開校しました高校で、2005年に閉校しました。
出身者には俳優の松田賢二さん、お笑い芸人のエンジンコータローさんなどがいます。
高校時代は剣道部と美術部に所属。バンド活動も続け、ヤマハポピュラーソングコンテストに出場。
高校生の時は画家になりたいと思っていました。
京本政樹の大学
京本政樹さんの出身大学は 多摩美術大学 (偏差値38~55)
東京都世田谷区上野毛に本部に本部がある私立大学。
大学受験では東京芸大も受けましたが不合格だったといいます。
大学時代は油絵を専攻。バンド活動も続けていました。
大学は中退しています。
京本政樹の学歴
芸能界入りのきっかけ
大学時代に京本さんのデモテープを聞いた大手レコード会社にスカウトされ、レコード会社で雑用のアルバイトをしながら曲を作っていました。
アルバイトを始めて半年ほど経った頃に、今度は俳優の事務所にスカウトされ、レコード会社に相談すると「ちゃんとお前のことは考えているから、やめとけ」と言われましたが、京本さんは俳優事務所を選び、レコード会社を辞め俳優事務所に所属しました。
「必殺仕事人」でブレイク
1979年、20歳の時に『男たちの旅路』(NHK)で俳優デビュー。
1981年に時代劇『銭形平次』(フジテレビ)に魚屋の善太を演じレギュラー出演したことがきかっけで時代劇俳優としての活躍を目指そうと決意。
主演の大川橋蔵さんの時代劇のメイク、所作などを手取り足取り教わったといいます。
1985年1月から放送された『必殺仕事人V』(テレビ朝日)で組紐屋の竜を演じると大ブレイクしました。
結婚や妻、子供
京本さんの結婚歴は2度。
1988年1月、29歳の時に元モデルの長窪真佐子さんと結婚しましたが、わずか8ヶ月で離婚。
再婚したのは1992年6月、33歳の時で妻は3歳年下で元アイドルの山本博美さん。
博美さんは1982年から1983年まで女性3人組アイドルグループ「きゃんきゃん」のメンバーとして活動後、タレント、女優として活動。
馴れ初めは舞台でに共演でした。
子供は息子が1人で、1994年12月に大我さんが誕生。
大我さんは京本さんが家族でがハワイ旅行に出かけた際、いきつけの和食店を撮影した写真が偶然にジャニー喜多川さんの目に触れてスカウトされ、2006年5月、11歳でジャニーズ事務所に入所。
2020年に『SixTONES』のメンバーとしてデビューしました。
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