福岡県出身で元NHKアナウンサーの宮本隆治さん。
NHK時代には5年連続で「NHK紅白歌合戦」の総合司会を務めました。
この記事では宮本隆治さんの学歴、経歴、生い立ちや、アナウンサーを目指したきっかけ、結婚や妻、子供などについて紹介しています。
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宮本隆治の経歴・プロフィール
宮本隆治の小学校
宮本隆治さんの出身小学校は 不明
福岡県門司市(現:北九州市門司区)出身。
父親はGHQの通訳も務めた市長秘書、母親はボランティア活動に熱心な人、兄弟は弟。
両親は忙しかっため、幼い頃から自分と弟の食事を作ることも多かったといいます。
小学校は北九州市の公立小学校のようですが、学校名は不明。
子供の頃は落ち着きのない子供で、タンスの上に乗ることが好きだったそうです。
小学生の時にはボーイスカウトに入団。
ボーイスカウトの制服が好きで毎日のように着ていたといいます。
好奇心は旺盛で、落語や相撲にも興味を持ってました。
宮本隆治の中学校
宮本隆治さんの出身中学校は 明治学園中学校
福岡県北九州市戸畑区仙水町にある男女共学の私立中学校。
明治専門学校(現・九州工業大学)が、教職員の子弟のために1910年(明治43年)に設立した附属小学校が前身の学校です。
出身者にはイラストレーターのわたせせいぞうさん、小説家の平野啓一郎さんなどがいます。
当時の校則は厳しく男子は全員坊主、女子とは校舎が別で会話は禁止だったといいます。
中学時代には「西郷輝彦の声に似ている」と言われたこときっかけに、西郷輝彦さん、舟木一夫さん、橋幸夫さんのものまねをして以来、ものまねが病みつきになり、いろんな人のものまねをするようになりました。
ものまねが得意になり、NHKの面接では長谷川一夫さんのものまねをして喝采を浴びたといいます。
宮本隆治の高校
宮本隆治さんの出身高校は 小倉高校 (偏差値68)
福岡県北九州市小倉北区愛宕二丁目にある男女共学の福岡県立高校。
出身者にはイラストレーターのわたせせいぞうさん、元テレビ朝日アナウンサーの佐々木正洋さんなどがいます。
高校時代には英語部のESSに所属し、部長も務めました。
また、北九州のデパートでアルバイトをしていました。
宮本隆治の大学 民放は不合格
宮本隆治さんの出身大学は 慶應義塾大学 文学部(偏差値65)
東京都港区三田二丁目に本部がある私立大学。
慶応大学文学部の出身者には俳優の小出恵介さん、アナウンサーの水卜麻美さんなどがいます。
慶応大学出身の加山雄三さんに憧れ、後輩になりたいと思って同大学に入学しました。
大学時代は馬術部に入部しましたが、友人に誘われて少林寺拳法部に見学に行くと先輩に入部させられたといいます。
その後、関東学生少林寺拳法連盟の副会長も務め、副会長時代の全国大会では、放送部員へ払うアルバイト代節約のため、自らアナウンスを担当。
日本武道館に響き渡った自分の声に感動し、アナウンサーを志望するようになったといいます。
就職試験ではフジテレビやTBSなどの民放も受験しましたが不合格でした。
宮本隆治の学歴
NHKの最終役職は「エグゼクティブアナウンサー」
1973年にNHKへ入局。同期には池上彰さん、大塚範一さんがいます。
目標は『NHK紅白歌合戦』の司会を務めることだったといいます。
帯広放送局に配属された後、京都放送局、東京アナウンス室、福岡放送局を経て、1995年かラ再び東京アナウンス室となり、定年まで東京で勤務しました。
主に歌番組を担当し、1995年から2000年までは入社時の目標だった『NHK紅白歌合戦』の総合司会を担当。
1999年4月から2005年3月までは『土曜スタジオパーク』の司会を担当しました。
2007年、57歳の時にNHK独自の「役職定年制度」による定年退職の期限を迎えると、喋る仕事にこだわりたい」とフリーアナウンサーに転身。
最終役職の「エグゼクティブアナウンサー」は民放では局長級になるといいます。
フリーになった後も『懐かしの昭和メロディ』(テレビ東京)、『時代が選んだNo1 永遠の名曲歌謡祭』(テレビ朝日)など歌番組の司会を務めています。
結婚や妻、子供
宮本さんは初任地の帯広放送局勤務時代に結婚。
妻は高校時代に北九州のデパートでアルバイトをしていた時に知り合った女性。
学生時代に交際をスタートさせ、遠距離恋愛を経て結婚しました。
子供は娘が2人で、長女のさん宮本優香は1976年9月に誕生。、
フェリス女学院大学卒業後、2000年4月から3年間宮崎放送でアナウンサーを務めたの後、フリーアナウンサーに転身。
2011年に結婚し、娘もいるといいます。
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