フォークグループ「アリス」のメンバーで、ソロでも「君のひとみは10000ボルト」などのヒット曲で知られる歌手の堀内孝雄さん。
1980年代から演歌路線に転向しています。
この記事では堀内孝雄さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介します。
堀内孝雄の学歴
堀内孝雄の小学校
堀内孝雄さんの出身小学校は 大阪市立丸山小学校
大阪府大阪市阿倍野区出身で、実家が大衆食堂「大和屋」を経営していました。
姉、兄のいる3人兄弟の末っ子、子供の頃の将来の夢はバスの運転手でした。
幼少期から実家の食堂の棚に置かれたラジオから流れる音楽に親しみ、ロック、歌謡曲から演歌までいろんな曲を聴き、歌を覚え歌っていたといいます。
堀内孝雄の中学校
堀内孝雄さんの出身中学校は 大阪市立松虫中学校
出身者にはロンドンオリンピック水泳・銅メダリストの寺川綾さんがいます。
中学時代にはビートルズを聴いて衝撃を受け、洋楽を聴くようになりました。
姉にギターを買ってもらいましたが、中学の時には弾かなかったそうです。
堀内孝雄の高校
堀内孝雄さんの出身高校は 桃山学院高校(偏差値50~73)
大阪府大阪市阿倍野区昭和町にある男女共学の私立高校。
出身者にはお笑い芸人の岩尾望さん(フットボールアワー)などがいます。
歌手のやしきたかじんさんとは高校の同級生で、堀内孝雄さんは軽音楽部のの部長、やしきたかじんさんは新聞部の部長で、『やしき』、『ベーヤン』と呼び合う仲ででした。
軽音楽部では、ボーカルと司会を担当し、楽器は演奏してなかったといいます。
堀内孝雄の大学
堀内孝雄さんの出身大学は 京都産業大学(偏差値43~51)
京都府京都市北区に本部がある私立大学。
出身者には「あのねのね」の清水国明さん、原田伸郎さん、 お笑い芸人の北野誠さん、石田靖さんなどがいます。
大学に入学する頃からギターを弾き始め、大学入学後に友人誘われて『ピースメーカーズ』のメンバーに加入。
このことがきっかけで、音楽生活の全てが始まったと話しています。
ヤマハのライトミュージック・コンテストに出場するグランプリを受賞。
この頃から曲も書くようになったそうです。
大学時代にライブハウスのオーディションを受けた時、審査員の1人が谷村新司さんで、以前かから堀内孝雄さんの歌が気に入っていた谷村さんに誘われ、後にドラムの矢沢透さんが合流することを前提に2人で『アリス』を結成。
1972年3月5日に『走っておいで恋人よ』でデビュー後、5月に矢沢透さんが参加し、3人体制となりました。
バンド名の『Alice』は谷村新司さんがロサンゼルスに行った時、Aliceというレストランがありメニューにペン字で「Alice」と書いてあるのを見てかっこいいと思い、プロデビューするなら バンド名はAliceにしたいと思ったことが由来だといいます。
大学は時期は不明ですが中退しています。
堀内孝雄の経歴
アリスは1972年3月にデビュー後、しばらくはヒット曲には恵まれず下積みが続きました。
地道にライブ活動を続け、1974年には年間303ものステージに立っています。
1975年9月5日の『今はもうだれも』のヒットを皮切りに、1977年10月5日の『冬の稲妻』はオリコンチャート8位にランクイン、1978年12月5日の『チャンピオン』は初で最初で最後の1位となりました。
堀内孝雄さんは1978年5月にソロデビューし、リリースした『君のひとみは10000ボルト』は90万枚を超える売り上げを記録。
1981年5月に、堀内さんと谷村さんのソロ活動の活発化と音楽の方向性の違いも出てきたことからアリスは活動を休止。
その後、3度の限定的な再活動を経て、2009年に本格的に再活動を始めています。
アリスは全盛期には紅白歌合戦には出場してはなく初出場は2000年で、その後は2009年までで3日出場しています。
堀内孝雄さんの個人としては1988年に第39回紅白歌合戦に初出場し、2006年までで17回出場しています。
1980代中頃から演歌・歌謡曲路線に転向し、1986年『愛しき日々』1990年『恋唄綴り』1993年『影法師』などがヒットしました。
堀内孝雄の結婚と子供
結婚したのは1972年、妻は一般女性で、アリス結成前からの交際で、下積み時代は支えてもらったそうです。
そのため、堀内孝雄さんは、
『妻に頭が上がらない』
と話しています。
子供は息子が3人で、長男と次男はロックバンド・99RadioService(ナインナインレディオサービス)のメンバーのKo-taさん(ギター、ボーカル担当)、Ko-hey(ボーカル、ギター担当)。
2007年結成し、2009年にアルバム『1』をリリースデビュー。
2013年にはNHKのラジオ番組で親子共演をしています。
バンドは2022頃まではライブを中心に活動をしてたようです。
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