1980年代から90年代にかけて活躍し、全盛期はレギュラー番組14本持ち「唯一天下をとった女芸人」と称される山田邦子さん。
この記事では山田邦子さんの学歴、経歴、生い立ちや、露出が減ったきっかけ、結婚や夫、子供などについて紹介しています。
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山田邦子の経歴・プロフィール
山田邦子の小学校
山田邦子さんの出身小学校は 江東区立八名川小学校
東京都荒川区東尾久生まれ。2歳年上の兄と8歳年下の弟がいる3人きょうだいの長女。
父親は建設会社の営業で、母親は同じ会社の受付嬢。父親が面接で受付嬢として母親を選び、口説いて社内結婚したそうです。
3歳の時に荒川区から江東区に引っ越し、小学校5年生までは母方の祖父母や親戚が隣に住んでいて、大家族のような環境で育ちました。
兄と弟が病弱だったので両親には構ってもらえない時期もありましたが、祖父母などが可愛がってくれたといいます。
家では父親の決めたソース禁止、コーヒー禁止などのルールがあり、揚げ物にも醤油で、コーヒーは父親がいない時に母親がこっそり入れて一緒に飲んでいたそうです。
小学校は東京都江東区新大橋3丁目にある八名川小学校に入学。
同小学校の出身者には俳優の寺島進さんなどがいます。
小学5年生の時に板橋区高島平のマンションに引っ越し、小学校は板橋区高島平2丁目にある高島平第二小学校に転校しています。
学校の成績はよくオール5で、毎年学級委員を努め、習字やピアノを習っていました。
子供の頃からみんなを笑わせて、クラスの人気者だったそうです。
山田邦子の中学校・高校
山田邦子さんの出身中学校は 川村中学校・川村高校
東京都豊島区目白2丁目にある私立の女子校で、お嬢様学校として知られます。
中学の偏差値は45、高校の偏差値は50。
出身者には俳優の佐久間良子さん、草刈民代さんなどがいます。
中学、高校時代も学級委員を務めていました。
高校まで父親の決めた門限は17時で、外泊は禁止。修学旅行も頼み込んで許可が出たほど厳しかったそうです。
部活は水泳部に所属していましたが、ギター・マンドリン部や演劇部などにも助っ人に呼ばれ参加していたといいます。
学校ではバスガイドやレコード大賞の授賞式のものまねを披露し、学校中で人気者になり、校内にファンクラブがあったほどでした。
高校1年生の頃に西城秀樹さんのものまねで『TV]ジョッキー』(日本テレビ)に出演しています。
山田邦子の大学 芸人デビュー
山田邦子さんの出身大学は 川村短期大学 (偏差値45)
東京都豊島区目白2丁目にあった中学、高校と併設されていた私立大学。2005年に廃止されました。
出身者には俳優の長谷川京子さんなどがいます。
短大時代はと早稲田大学の寄席演芸研究会に所属し「可愛家マッハ」を名乗って活動。
しかし、落語家には向いてないと悟り、素人参加番組に片っ端から応募し出演。
『笑っていいとも!』の前身番組の『笑ってる場合ですよ!』ではバスガイドのネタでチャンピオンを獲得しています。
短大卒業時には父親のコネで西武建設から内定をもらい、会社の健康診断を受け、制服まで作りましたが就職はせず、芸能界の道を選びました。
山田邦子の学歴
8年連続好感度ナンバー1タレント
1981年5月、20歳の時に『野々村病院物語』(TBS)で女優デビュー。
同月から放送が開始された『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)でも初回からレギュラー出演し、番組内の「ひょうきんベストテン」では主に薬師丸ひろ子さん、欧陽菲菲さん、島倉千代子さん、松任谷由美さんを演じ人気を獲得。
担当を努めた「ひょうきん絵かき歌」が大ヒット企画にとりブレイクしました。
1988年10月から放送された『クイズ!年の差なんて』(フジテレビ)で司会を務めると人気番組となり、以降は司会者として活躍。
『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ)や『邦子がタッチ』(テレビ朝日)など自身の名前が入った冠番組を多く持ちました。
1988年から1995年まで、NHK「好きなタレント調査」で8年連続で第1位を獲得。
全盛期には14本のレギュラー番組を持ち、各局に山田さん専用の「仮眠室」があったとも自称しています。
当時の最高月収は1億円だったといいます。
ゴールデンタイムで冠番組を持った女性ピン芸人は山田さんのみと言われ「女性で唯一天下を取ったお笑いタレント」とも評されてます。
バッシングと露出現象
1992年、高視聴率だった『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』が突然打ち切り。
これは番組レギュラーを頻繁に変更するスタッフに山田さんが「一緒に頑張ってきたメンバーを簡単に降板させるのはおかしい」と意見し、自ら降板を申し出たとされています。
1995年には昼の帯番組『山田邦子のしあわせにしてよ』(TBS)がスタートしましたが、裏番組の『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ)や『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)に太刀打ちできず、低視聴率となりました。
するとそれまで感度ナンバーワンだったことの反動としてのバッシッグが起り、1995年夏から秋にかけて週刊誌のバッシング記事が続き、写真週刊誌でレビ制作関係者との恋愛スキャンダルも報道。
ワイドショーで芸能レポーターに追い回され嫌気がさし、レポーターの井上公造さんに「バカじゃないの」、「お前、もてないだろう」などとぶちギレしたシーンが繰り返し放送され好感度は急降下。
1996年発表の1995年度NHK「好きなタレント調査」では好感度1位でしたが、翌年1997年には14位とランクは急落し、同年に冠番組が全て終了しました。
結婚や夫、子供
2001年1月、39歳の時に、9歳年上でテレビ番組制作会社社長の後藤史郎さんと結婚しました。
後藤さんの会社は『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』や『爆報! THE フライデー』などの番組制作を担当している会社です。
山田さんに子供はいません。
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