たけし軍団のメンバーでお笑いコンビ・浅草キッドの水道橋博士さん。
この記事では水道橋博士さんの学歴、経歴、生い立ちや、たけし軍団に入ったきっかけ、結婚や妻、子供などについて紹介しています。
Contents
水道橋博士の経歴・プロフィール
水道橋博士の小学校
水道橋博士さんの出身小学校は 倉敷市立老松小学校
岡山県倉敷市出身。2歳年上の兄がいる2人兄弟の次男。
実家は祖父が始めた紙問屋「倉敷紙業」を経営。母方の祖父は中国銀行の副頭取を勤めた努めた銀行家でした。
父親は家庭では言葉数が少なく、本ばかり読んでいたそうです。
自宅は敷地面積300坪の大きな屋敷で、庭には錦鯉の泳ぐ池があり、裏庭には蔵もあったといい、裕福な家庭に育ちました。
小学校は岡山県倉敷市老松町4丁目にあるい老松(おいまつ)小学校に入学。
小学生の時には成績がよくオール5で、学級委員を務め、6年生の時に児童会長にも選ばれました。
水道橋博士の中学校
水道橋博士さんの出身中学校は 岡山大学教育学部附属中学校 (偏差値62)
岡山県岡山市中区東山2丁目にある男女共学の国立中学校。
岡山県で有数の進学校で、受験して越境入学しています。
ロックバンド、ザ・クロマニヨンズの甲本ヒロトさんとは中学の同級生でした。
『「自分がそうでもない」とわかったのは、そこからですね、おちこぼれてきたのは。』
小学生の時は勉強も運動できて自分が1番だと思っていましたが、受験して中学に入ると周りが優秀な生徒ばかりで勉強する意欲がなくなり、一時は不登校にもなったといいます。
中学時代のはルポライターの竹中労さんの著作を読んだことで、ルポライターに憧れていました。
水道橋博士の高校
水道橋博士さんの出身高校は 倉敷青陵高校 (偏差値65)
岡山県倉敷市羽島にある」男女共学の岡山県立高校。
1908年(明治41年)に創立された「岡山県倉敷高等女学校」と1944年(昭和19年)に創立されが「岡山県倉敷中学校」が前身の歴史ある学校です。
出身者には元NHKアナウンサーの山下清貴さん、漫画家の中山星香さんなどがいます。
高校1年生の時に過敏性大腸症候群を患い留年。
再び不登校になり、ひとりで図書館や映画館で過ごしていました。
18歳の高校2年生の時に、『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)を聴き始めてビートたけしさんに心酔。
ラジオをロ録音して何度も聴き、放送でたけしさんが話したことを全てノートに書き起していていました。
「ビートたけしに会えば何か展望が開けるに違いない」と上京を目指し、たけしさんと同じ大学に入ろうと高校3年生のからは猛勉強も始めたといいます。
水道橋博士の大学
水道橋博士さんの出身大学は 明治大学 経営学部(偏差値65)
東京都千代田区神田駿河台1丁目にある私立大学。
猛勉強して合格しましたが大学になじめず、わずか4日で大学に通わなくなり、単位を全く取得せずにアルバイトとパチンコに明け暮れ、大学は中退しています。
水道橋博士の学歴
浅草キッドを結成
1986年、23歳の時に『オールナイトニッポン』を放送する深夜のニッポン放送前に通い詰め、7ヶ月間たけしさんの追っかけを続けました。
その際に企画書なども手渡すとたけしさんに企画が評価され、他の追っかけ10人と共に弟子入り。
その後、フランス座で修業を経験し、たけしさんの弟子で同じくフランス座で修業していた5歳年下の玉袋筋太郎さんと1987年に漫才コンビ・浅草キッドを結成。
ライブを中心に活動し、1989年には渋谷109スタジオで単独ライブを開催。
1990年にはテレビ朝日の『ザ・テレビ演芸』で10週勝ち抜き5代目チャンピオンに輝き、1991年10月からはラジオ番組『オールナイトニッポン』の月曜第2部を担当。
翌年の1992年からは『浅草橋ヤング洋品店』(テレビ東京)に出演し人気を集めました。
1996年10月に、運転免許証をお笑いのネタで不正取得した事件で書類送検され、4ヶ月間芸能活動を自粛。
2001年からはTBSテレビ深夜の番組『週刊アサ秘ジャーナル』に出演し、毎回、大物政治家をゲストに呼び、政治家の人間性を引き出す巧みなインタビューで人気を博しました。
2020年に玉袋さんがTAP(旧:オフィス北野)を自主退社しフリーとなってからは、コンビとしての活動は休止状態になっています。
参議院議員出馬と辞職の経緯
2022年5月15日に溝の口駅で開催された「れいわ新選組」の青空集会に参加して山本太郎さんに」質問すると、山本さんから「選挙に出たらどうか」と提案。
水道橋さんが「未成年の子供がいるので供託金を払うお金がない」と事得ると「うちが出しますので、うちから出てください」とその場で出馬を要請。
5月26日にれいわ新選組から立候補すると表明し、7月10日の参院選で当選。
しかし、3ヵ月後の2022年11月に鬱病の再発に伴い休職。
その後、症状は改善したものの、2023年1月16日に議員辞職願を届け出て受理され参議院議員を辞職しました。
結婚や妻、子供
2002年6月、39歳の時に12歳年下の千枝さんと結婚。
馴れ初めは自身のホームページ上に「博士の嫁取りコーナー・合コンしま専科!?」と合コン相手を募集したことで、募集後、千枝さんの友人から「親友が博士のことが好きなんです。会っていただけませんか?」とメールがきたといい、後日、東京駅で待ち合わせをして見ず知らずのままデートをすると交際に発展したそうです。
子供は息子が2人と娘が1人の3人。
2003年8月8日に長男の武(たけし)さん、2006年7月11日に長女の文(ふみ)さん、2009年1月1日に次男の士(あきら)さんが誕生しています。
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