石原プロモーションの元取締役で俳優の神田正輝さん。
大学時代はカメラマンを目指していました。
この記事では神田正輝さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
神田正輝の経歴・プロフィール
神田正輝の小学校・中学校
神田正輝さんの出身小学校は 港区立赤坂小学校
東京と港区赤坂生まれ。父親は元海軍軍事で戦後は石油会社に勤務、母親は女優の旭輝子(あさひてるこ)さん。
父親と母親は未入籍で婚姻関係はなく、婚外子(非嫡出子)でした。
父親には娘がいたようで腹違いの姉がいましたが、血の繋がった兄弟はなく、一人っ子として育ったようです。
神田さんが幼少期の頃の赤坂は山もありカブトムシを捕るのが好きで、外で遊ぶことの好きな子供でした。
小学校は東京都港区赤坂にある赤坂小学校に入学しましたが、1年生の神奈川県鎌倉市に引っ越し。
父親が赤坂小学校ののPTAをしていたので鎌倉に引っ越した後も片道2時間かけて赤坂小学校に通学していました。
小学校高学年の時に東京都渋谷区に引っ越したそうです。
入学した中学校は不明。
中学時代には水泳部、陸上部、バスケットボール部などの運動部と天体観測部を掛け持ちしていたといます。
神田正輝の高校
神田正輝さんの出身高校は 日本大学高校 (偏差値67)
神奈川県横浜市港北区箕輪町2丁目にある男女共学の私立高校。
1930年4月に開校された学校で、2002年4月までは男子校でした。
出身者には俳優の石橋蓮司さん、お笑い芸人(トレンディエンジェル)の斉藤司さんなどがいます。
高校時代にはスキューバーダイビングやスキーを経験。夏はダイビング、冬はスキーを楽しんでいました。
『中卒ってことにして、朝5時前に。賃金の高い順に名前を書いとけば、1万5千円くらいになる。』
学校をサボって東神奈川の職業安定所に行き「中卒」といって、ホースやタイヤの工場や米軍の港湾作業などをしていたといいます。
神田正輝の大学
神田正輝さんの出身大学は 日本大学 芸術学部 (偏差値55)
東京都千代田区九段南4丁目に本部がある私立大学。
大学では映画学科に在籍してカメラマンを目指し、スキーの腕を生かして、スキーメーカー「K2」でのスキー板のテスターのアルバイトをていました。
神田正輝の学歴
芸能界入りのきっかけ
神田正輝さんが芸能界デビューしたのスカウトされたことがきっかけした。
1973年、23歳の時にレストランで出会った石原裕次郎さんに「撮影の見学に来いよ」と声をかけられたといいます。
『(石原裕次郎さんに)『役者をやる気はないのか』と言われて『ありません』と(笑)。でも、『冷やかしでいいなら1本やりますよ』と伝えたわけ。『冷やかしで1本』と言ったら1話だけで終わりだと思うでしょ。それが、1話から最終回のことで。そこから7年間休みがなかった(笑)』
石原プロモーションに入社し端役を経て、1976年の刑事ドラマ『大都会 闘いの日々』(日本テレビ)で新聞記者の九条浩次役を演じ、本格的に俳優デビューしました。
デビュー後
『大都会 闘いの日々』の第2シリーズで、1977年から放送された『大都会 PARTII』でも14話から刑事役でレギュラー出演。
その後もドラマも中心に活躍し、1980年からは『太陽にほえろ!』(日本テレビ)に小野寺昭さんが演じた島公之(通称・殿下)刑事の後任の刑事で、医学部中退の西條昭(通称・ドック)刑事役で出演。
ドラマが終了する1986年まで出演しました。
1995年に時代劇『とおりゃんせ?深川人情澪通り』(NHK)で時代劇初主演。
1997年からは『朝だ!生です旅サラダ』(朝日放送テレビ)で草野仁さんに代わる2代目総合司会として就任しました。
石原プロモーションでは舘ひろしさんと共に取締役を務め、石原プロの解散後はフリーランスとして活動しています。
結婚歴や妻、子供
神田正輝さんは1985年6月、34歳の時に12歳年下の松田聖子さんと結婚。
馴れ初めは1985年4月公開の映画『カリブ・愛のシンフォニー』で共演したことでした。
ロケ先の海外で体調を崩して入院した松田さんを神田さんがお見舞いに行ったととがきっかけで交際がスタートしたといいます。
結婚披露宴はホテルニューオータニで行われ、関係者500人以上が招待されました。
1986年10月には娘の神田沙也加さんが誕生しましたが、結婚12年目の1997年1月に離婚。
松田さんは離婚後、2度の再婚をしていますが、神田さんは再婚はしていません。
娘の神田沙也加さんは2021年12月18日に、ミュージカルの公演で滞在していた札幌のホテルの高層階から転落して、35歳で亡くなっています。
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