広島県出身のお笑い芸人で「ドロンズ」として、「電波少年」のヒッチハイクで活躍したしたドロンズ石本さん。
この記事ではドロンズ石本さんの学歴、経歴、生い立ちや、ブレイク、結婚や妻、子供などについて紹介しています。
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ドロンズ石本の経歴・プロフィール
ドロンズ石本の小学校
ドロンズ石本さんの出身小学校は 不明
広島県広島市出身。本名は石本 武士(いしもと たけし)。5歳年上の兄がいる2人兄弟。
父親は中国新聞の記者をしていました。
小学生の時は母親の故郷の広島県三原市で育ち、三原市の小学校に通っていたようですが学校名は不明。小学生時代は野球チームに所属し、キャプテンを務めていました。
ドロンズ石本の中学校
ドロンズ石本さんの出身中学校は 広島市立五月が丘中学校
広島県広島市佐伯区五月が丘2丁目にある公立中学校。
小学校卒業後に三原市から広島市に戻り、同中学校に入学しました。
中学時代はサッカー部に所属し、ポジションはゴールキーパーで副キャプテン。
学校では生活委員長を務め、朝は校門に立ち、遅刻してきた生徒をチェックしていたといいます。
ドロンズ石本の高校
ドロンズ石本さんの出身高校は 広島工業高校 土木科 (偏差値48)
広島県広島市南区出汐2丁目にある男女共学の広島県立高校。
野球部、サッカー部は古豪で過去には何人ものプロ野球選手、プロサッカー選手を輩出しています。
高校時代はラグビー部に所属し、高校卒業後は上京しました。
ドロンズ石本の専門学校
ドロンズ石本さんの出身専門学校は 土木系の専門学校
高校卒業後は叔父の勧めで測量士補の資格を取るために上京し、土木の専門学校に入学。
上京はお笑い芸人になりたいとの思いからで、なれなかった場合を考えての専門学校入学だったといいます。
専門学校には1年間通い、測量士補の資格を取得しました。
ドロンズ石本の学歴
「ドロンズ」を結成
ドロンズ石本さんは専門学校で資格取得を目指しながら、お笑いライブにも足繁く通い、卒業の時には就職先も紹介されましたがお笑い芸人の道に進みました。
オーディション雑誌に載っていた、渡辺正行さん主宰の「劇団七曜日」のオーディションを受け入団。渡辺さんの主催するお笑いライブ「渋谷ラ・ママ」の手伝いもしていました。
入団から1年半ほど経った頃にお笑い事務所が立ち上がることになり、劇団の残るかお笑い事務所に移るから悩んでいる時に、古坂大魔王さん(ピコ太郎)に大島直也さんを紹介され、1995年にコンビを結成。
コンビ名は「大島石本」、「D.R.U.G.(ドラッグ)」を経て「ドロンズ」に改名。
「ドロンズ」はヒッチハイクの旅が決まった時に「麻薬の流通が盛んな地域を縦断する際に支障をきたす」と改名するように言われ、「ド」から始まる4文字の単語を並べて考えていると、通りかかった南原清隆さんが選んだのが「ドロンズ」だったといいます。
ヒッチハイクの旅でブレイク
「ドロンズ」が『進め!電波少年』(日本テレビ)で、猿岩石に続く「南北アメリカ大陸縦断ヒッチハイク」に出演したのはコンビ結成2年目の1996年11月からでした。
1995年に猿岩石が入った「ユーラシア大陸ヒッチハイク旅」のオーディションを受けて、最終の5組に残りましたが落選。
翌年にテレビ番組の前説中にカンペを出されてヒッチハイクの旅に行かされることになったといいます。
当初は3、4カ月でゴールする予定でしたが、1年以上かかりました。
旅はカメラマンも兼務するディレクターと3人で、ナイフを持った子どもたちに襲われてお菓子を奪われたり、ディレクターが襲われてボコボコに殴られて血だらけになったり、薬を売りつけられそうになったこともあたっといいます。
旅に行っている間、4万5千円の家賃は給料から引かれていましたが、口座には50万円貯まっていたそうです。
帰国は人気となりましたがが、元々俳優志望だった大島さんが役者を目指すことを理由に、2003年にコンビを解消。
その後はドロンズ石本としてタレントと活動しながら、馬肉専門の店「馬肉屋たけし」を開業。
「ちりとり鍋 大島」を経営していた大島さんが店を譲渡した後は、大島さん秘伝の「ちりとり鍋」は、石本さんの店のメニューに加えられています。
結婚歴や妻、子供
ドロンズ石本さんは2023年2月、49歳の時に12歳年下の一般女性と結婚。
妻とは友達の店で食事をしていた時に紹介されて出会い、約6年間の交際期間を経て結婚しました。
子供はいないようです。
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