モデルとしてデビューし、個性派女優として活躍する洞口依子さん。
この記事では洞口依子さんの学歴、経歴や、デビューのきっかけ、結婚や夫、子供などについて紹介しています。
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洞口依子の経歴・プロフィール
洞口依子の小学校・中学校
洞口依子さんの出身小学校・中学校は 日野市立日野第六小学校・日野市立日野第四中学校
東京都武蔵野市生まれ、日野市育ち。
小学校は東京都日野市多摩平3丁目にある日野第六小学校、中学校は日野市旭が丘3丁目にある日野第四中学校を卒業。
2024年5月時点で父親は他界しており、母親は85歳で認知症を患い介護をしていますが、娘ではなく妹と認識されていると話しています。
洞口依子の高校 モデルとして芸能界入り
洞口依子さんの出身高校は 東京立正高校 (偏差値49~56)
東京都杉並区堀ノ内2丁目にある男女共学の私立高校。
日蓮宗の日圓山妙法寺の山主であった岡田日帰人上人により創設された堀の内学園が母体学校となって開校した仏教系の学校で、設置学科は普通科のみ。
出身者には俳優の南美川洋子さん、シドニーオリンピックで400m個人メドレーで銀メダルを獲得した田島寧子さんなどがいます。
1980年、高校1年生の時に、『週刊朝日』1980年11月7日号の表紙となり、高校在学中にEPICソニー・スターメイキングコンテストで優勝し芸能界入り。
『プータローというやつです。写真のモデルになったときも、芸能界デビューという意識はまったくなくて、カメラの前でのびのびと、笑ったりすましたりしていただけ。』
高校卒業後に雑誌『GORO』の「激写」モデルとして本格的に芸能界デビューしました。
洞口依子の学歴
「愛という名のもとに」で人気を獲得
1985年、20歳の時に映画『ドレミファ娘の血は騒ぐ』で主演を務め女優デビュー。
主演はオーデションで獲得し、オーディションでは緊張のせいもあり、ニコリを笑うこともなかったといいます。
同映画では伊丹十三さんと共演し、同年に伊丹さんが監督を務めた映画『タンポポ』にカキの少女(海女) 役で出演。
伊丹映画には以降も1988年『マルサの女2』、1990年『あげまん』に出演しました。
1986年、『女の人さし指』(TBS)でドラマ初出演。
1990年には大河ドラマ『翔ぶが如く』で 竜馬の妻、おりょう 役を演じました。
1992年1月から放送されたフジテレビドラマ『愛という名のもとに』にメインキャストの1人・飯森則子 役で出演。
ドラマは最高視聴率32.6%を記録し、洞口さんも人気を獲得。
1997年の『ふぞろいの林檎たちIV』(TBS)でも人気を集め、以降は2時間ドラマなどで活躍しました。
結婚や夫、子供
洞口依子さんは1997年、32歳の時に結婚。
夫は3歳年上で、NHKディレクターの葛西弘道さん。
馴れ初めはNHKで1996年から1997年にかけて放送されていたトーク番組『ソリトン』でした。
子供はいません。
子宮頸がんで闘病
2004年1月、38歳の時に子宮頸がんが発覚。
8時間に及ぶ子宮と卵巣の全摘出手術を受け、以降は、抗がん剤と放射線の治療を受けました。
がんの再発はありませんでしたが、手術から10年以上過ぎた頃に足がむくむようになり、検査を受けるとリンパ浮腫と診断。
リンパ浮腫とはがんの治療部位に近い腕や脚などの皮膚の下に、リンパ管に回収されなかった、リンパ液がたまってむくんだ状態のことで、症状はだるさなどがあり、10年以上経過してから生じることもよくあるといいます。
リンパ浮腫は必ず治るという治療法はなく、ずっと治療は続けているといいます。
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