ウルトラマンにアラシ隊員役で出演し、ジジイ、ババアの毒舌トークでも知られる毒蝮三太夫さん。
パーソナリティを務める「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」は50年以上続いています。
この記事では毒蝮三太夫さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介します。
毒蝮三太夫の学歴
毒蝮三太夫の小学校
毒蝮三太夫さんの出身小学校は 台東区立東泉小学校
本名は石井 伊吉(いしい いよし)、大阪市住吉区で生まれ、生後3ヶ月で東京市荏原区中延(現・東京都品川区中延)に移りました。
父親の職業は大工、兄弟は父親違いの10歳以上年の離れた兄が2人、中延の同潤会アパートに住んでいました。
兄弟ケンカはしたこがなく、年が離れていたことから一緒に遊べず、一人っ子のようだったといいます。
幼少期は体が弱く、よく風邪をこじらせ、発疹チフスや猩紅熱(しょうこうねつ)などにもかかったことがあるそうです。
1945年5月、9歳の時に米戦略爆撃機B29の空襲を受け、命は助かりましたが家は焼けてしまい、父親の実家がある横浜の戸塚に縁故疎開しました。
毒蝮三太夫の中学校
毒蝮三太夫さんの出身中学校は 台東区立下谷中学校
疎開中は横浜市立大正中学校に通い、その後は浅草竜泉寺の付近で生活しました。
中学校1年の時、友人と共に舞台『鐘の鳴る丘』のオーディション受けると、自分だけが採用され、戦争孤児役で子役デビュー。
この舞台出演をきっかけで児童劇団に入団、1951年、15歳の時には映画『青い真珠』に出演。
中学校では生徒会長副会長を務め、卒業式では講堂で全校生徒の前で落語を披露しました。
毒蝮三太夫の高校
毒蝮三太夫さんの出身高校は 大森高校(偏差値41)
東京都大田区西蒲田にある男女共学の都立高校。
出身者には元力士の龍虎さん、タレントのなべおさみさんなどがいます。
高校時代も児童劇団に所属し俳優活動を続け、1953年には映画『続思春期』、1954年には『潮騒』などの青春映画に出演しています。
毒蝮三太夫の大学
毒蝮三太夫さんの出身大学は 日本大学芸術学部映画学科(偏差値50)
大学時代には新劇をやるため仲間と「劇団山王」を旗揚げ。
「山王」の仲間の1人が立川談志と知り合いで、紹介されるとウマが合ったといいます。
テレビ草創期からテレビドラマに出演し、1957年に『坊っちゃん』(日本テレビ)でドラマ初出演し、同年に刑事ドラマ『ダイヤル110番』にも出演しました。
大学は1959年に卒業しています。
毒蝮三太夫の経歴
テレビの草創期からテレビの仕事をしていましたが、なかなかいい役につけず、転機になったのは1966年7月から放送を開始した『ウルトラマン』(TBS)でした。
科特隊きっての射撃の名手にして怪力の持ち主、タフガイで熱血漢のアラシ・ダイスケ隊員 役で出演。
衣装はオレンジ色で恥かしく思い、役者仲間からが「子ども番組だ」とバカにされましたが、、出演後は子供たちの人気者なり、引き続き翌年の1967年に放送された『ウルトラセブン』でもほぼ同様の役柄であるウルトラ警備隊のフルハシ隊員として出演しました。
同年に当時の司会者立川談志さんの誘いで『笑点』の座布団運びとして出演すると、「何で正義の味方が座布団運びやってんだ」とテレビ局に苦情が入ったことでそれまでは本名でしたが芸名をつけることになり、立川談志さんの提案で『毒蝮三太夫』に改名。
年配者相手の毒舌トークは『笑点』が原点でした。
1969年にはTBSラジオで『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』が放送開始。
同番組は50年以上続く長寿番組をなりました。
年配者相手に「ジジイ」「ババア」と呼ぶことを厭わない接し方に人気を誇り、あくまで「元気な人にしか発言しない」ことを信条としているといいます。
1999年には聖徳大学短期大学部の客員教授に就任。
心理・福祉学部社会福祉学科の学生を対象に「自然・社会・科学技術を考える(社会領域)」の授業を担当し、高齢者とのコミュニケーションの取り方などについて講義しています。
2021年4月からはYouTuberとしても活動を開始しました。
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