ドラマ「柔道一直線」の足でピアノを弾くシーンで知られる俳優の近藤正臣さん。
この記事では近藤正臣さんの学歴、経歴、生い立ちや、俳優になったきっかけ、結婚や妻、子供などについて紹介しています。
近藤正臣の経歴・プロフィール
近藤正臣の小学校・中学校
近藤正臣さんの出身小学校・中学校は 京都市立立誠小学校・京都市立御池中学校
京都府京都市出身。父親は清水寺の境内にある「舌切茶屋」の3代目主人。父親と母親は未入籍でした。
2歳の時に父親はがんで他界。
母親は元祇園の芸妓(げいこ)で、近藤さんが物心ついた時には木屋町三条で小料理屋を経営していたといいます。
自由奔放な母親で男性にはよくモテて、色恋沙汰は途切れたことはなく、父親違いの姉と妹がいます。
小学校は京都市立立誠小学校に入学。
京都府京都市中京区蛸薬師通河原町東入備前島町にあった公立小学校。
1993年3月の閉校になっています。
出身中学校は京都府京都市中京区柳馬場通御池上る虎石町公立中学校の御池中学校が有力なようです。
3歳の時に終戦を迎え、子供の頃は進駐軍の兵士の靴を磨いて小遣いを稼いでいました。
近藤正臣の高校
近藤正臣さんの出身高校は 洛東高校 (偏差値45)
京都府京都市山科区安朱川向町にある男女共学の京都府立高校。
設置学科は普通科のみ。
出身者には俳優の小林薫さん、タレントの中島知子さんなどがいます。
高校時代は女子部員に「頭数が足らない」と声をかけられて演劇部に入部。
高校演劇コンクールでは銀賞を受賞しました。
学校では生徒会副会長を務め、ボクシングも習っていたといいます。
高校卒業後は、母親が営む小料理屋を継ぐために、大阪の吉兆で板前修業を始めました。
近藤正臣の学歴
俳優デビューのきっかけ
高校卒業後、板前修業を始めた近藤さんでしたが、伝統的日本料理界の厳しさや理不尽さに嫌気がさし3ヶ月で退職。
辞めた後は母親には勘当され友達の家を転々と泊まり歩いていました。
そんな中、高校時代に始めた演劇で身を立てようとアングラ劇団を旗揚げ。
小さな劇場を借りる3000円が集まらなかったので、映画のエキストラのアルバイトを始め、初めて撮影所に入りました。
そこで出会った助監督に「大船撮影所に来ないか」と誘われて単身上京。
1966年、24歳のに今村昌平監督の映画『「エロ事師たち」より 人類学入門』でデビューしました。
「柔道一直線」でブレイク
デビュー後も端役での出演が多く、下積みが続きました。
転機となったのは、1969年に出演したテレビドラマ『柔道一直線』(TBS)でした。
『僕は結婚して娘もいましたから、主人公(桜木健一)のライバル高校生役と聞いて、びっくりしたんですよ。』
当時は28歳でしたが、高校生で主人公のライバルの結城真吾役に抜擢され、54話でのピアノの鍵盤の上に跳びあがって、足で『ねこふんじゃった』を演奏したシーンは話題になりブレイク。
ピアノのシーンは有名で、後年の名珍場面集などでもよく取り上げられています。
このドラマがきっかけで俳優としてやっていけるようなり、以降はドラマ、映画を中心に活躍しました。
結婚歴や妻、子供
近藤正臣さんは1966年、24歳の時に結婚。
妻は1歳年下で、小学校から高校まで一緒の幼なじみの女性。
無名時代の結婚で、ブレイク直後には妻の存在が週刊誌に報じられました。
子供は娘と息子の2人のようです。
娘は元タレントで「川口ひみこ」の名前で活動し、1987年10月から放送されたフジテレビの討論バラエティ番組『七人のHOTめだま』では近藤さんと共に司会を務めていました。
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