東京都生まれでお笑いコンビ・北陽のボケ担当の虻川美穂子さん。
高校時代は実業団からスカウトされるほどのソフトボールの選手でした。
この記事では虻川美穂子さんの学歴、経歴、生い立ちや、お笑い芸人になったきっかけ、結婚や夫、子供などについて紹介しています。
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虻川美穂子の経歴・プロフィール
虻川美穂子の小学校 2歳から小児ぜん息を発症
虻川美穂子さんの出身小学校は 足立区立宮城小学校
東京都足立区生まれ。弟がいる長女。
2歳の時に小児ぜん息をを発症し、物心ついた時には夜中の発作で目が覚めたり、母親におんぶされて病院に行く生活が普通でした。
自宅以外の友達の家や家族で行った旅行先などで発作が出るこことが多く、子供の頃に行った家族旅行では必ず発作が出ていたそうです。
そのため、家族旅行は「苦しい」という記憶しかないといいます。
虻川美穂子の中学校
虻川美穂子さんの出身中学校は 杉戸町立広島中学校
埼玉県北葛飾郡杉戸町堤根にある公立中学校。
足立区の中学校に入学しましたが、中学1年生の時に埼玉県杉戸町に引っ越し、広島中学校に転校しました。
ぜん息の薬を吸って体に入れることに抵抗があり、引っ越して病院も変わったこともあり、杉野町に引っ越してからはなんとなく、ぜん息の治療をやめてしまったといいます。
中学時代はソフトボール部に入部して体力がつき、小学生の頃よりは発作は出なくなりましたが、走れば苦しいのあたりまえで、中学でも常にぜん息と一緒に生活している感じたったそうです。
虻川美穂子の高校 劇団に入団
虻川美穂子さんの出身高校は 久喜北陽高校 (偏差値53)
埼玉県久喜市大字久喜本にある井男女共学の埼玉県立高校。
北陽の相方の伊藤さおりさんは高校の同級生。同じクラスになったことはありませんでしたが、ソフトボール部で一緒でした。
高校時代はソフトボール部のエースとして活躍。実業団から声がかかるほどの選手でした。
高校卒業後は大学などには進学せず、劇団に入団しました。
虻川美穂子の学歴
お笑い芸人になったきっかけ
高校卒業が迫っでも進路が決まってなかった頃に、伊藤さおりさんが持っていた進路ガイドに「劇団員募集」と書いてあるのを見つけ、なんとなく芸能界に興味があったことから、伊藤さんと共に劇団「鳥獣戯画(ちょうじゅうぎが)」に入団。
入団後、伊藤さんは役をもらって出演していましたが、虻川さんはなんとなく入ったため厳しい稽古についていけなかったといいます。
そんな頃に、「プロダクション人力舎」のお笑い養成所のチラシを見て、お笑いの世界が輝いて見えたといい、劇団を退団。
1995年にスクールJCA4期生として入所。同期にはゆってぃさんがいました。
相方が見つからなくて困り、劇団時代に仲間の誕生会で一緒にコントをしていた伊藤さんを誘うと、「試しにやってみるか」と劇団に在籍したままスクールJCAに入り、1995年にコンビ「北陽」を結成しました。
「はねるのトびら」でブレイク
「北陽」結成後は月20本ほどのライブに出演していましたが、行き詰まりを感じ1998年から休業。
1年後、25歳で復帰すると『爆笑オンエアバトル』(NHK)で数少ない女性芸人によるオンエア獲得第1号になり、女性芸人初のチャンピオン大会に出場。
2000年4月から放送された『新しい波8』(フジテレビ)に出演すると、この番組がきっかけで2001年4月から放送された深夜番組『はねるのトびら』(フジテレビ)のレギュラーへ抜擢。
番組は2005年8月からゴールデンタイムに昇格され、最高視聴率25.4%(関西地区)を獲得。
番組の人気と共に北陽もブレイクしました。
結婚や夫、子供
虻川美穂子さんは2010年10月、36歳の時に結婚。
夫は2歳年上で、イタリア料理店のオーナーシェフ・桝谷周一郎さん。
馴れ初めは北陽がレギュラーを務めていた『はなまるマーケット』(TBS)での共演でした。
番組で虻川さんと伊藤さんのどちらかが、プロの料理人に料理を教えてもらう「まかないレシピ」のコーナーを担当していて、虻川さんは桝谷さん店にロケに行ったことで2人は出会いました。
そこで虻川さんが桝谷さんに一目惚れしたことがきっかけで交際に発展。
プロポーズは虻川さんからで、『はねるのトびら』の企画で女子プロボクサーと試合をして、ボコボコい殴られた後に「お嫁さんにしてください!」と逆プロポーズをしました。
子供はは息子が1人で、2015年2月、40歳の時に誕生しました
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